2014年1月30日木曜日

和製漢字のチカラ(2)

日本人が生み出した漢字(熟語)のことを「国字」や「和製漢語(漢字)」と呼ぶことがあります。

鎖国が解かれてヨーロッパの先端文明が一気に入ってきたのが明治維新です。
この文化や技術に対応するためにたくさんの言葉が生み出されました。

原語を持ってきてしまったほうが簡単なものもたくさんあったはずですし、無理に訳してしまったために原語のニュアンスが崩れてしまったものもあります。

それでもそこには「和魂」と言う一種の反骨精神が息づいており、現代の英語のように安易なカタカナ置き換えには至りませんでした。

学者、文化人、政治家をはじめとしたあらゆる人たちがいかに日本語として表現するかに苦心をしました。

その結果、20万語とも言われる膨大な新語を生み出したのです。
現代の私たちが使っている漢字表現のほとんどがこの時に生み出されたものとなっています。




ほんの一例を見ていってみましょう。

民主主義に関する言葉が一気に必要になってきたことがよくわかると思います。


憲法、民法、刑法、法律、経済、資本、国会、内閣、行政、司法、議会、賛成、反対、議論、演説、投票、民権、権利、自由、人民、共和、政治、国家、国際、改革、開放、運動、同士・・・

演説や自由は福沢諭吉が翻訳した言葉です。

演説はまだしも、「自由」は本来の「リバティ」「フリーダム」の絶対に侵してはならない本来持っているものとはニュアンスが異なってしまっていますね。

「自由」には本来持っているものよりも、勝手気ままにふるまうことのニュアンスが強く含まれています。
ですから日本においては、絶対触れてはいけない「自由」を制限したりすることが起こってしまうのですね。


明治維新はスピードが必要とされていました。
西洋列強の植民地となる危機があったために、一日も早く国力を付ける必要があったのです。

その結果、微妙にニュアンスの違う言葉で翻訳されたものもあります。


「権利」の原語は民主主義の根幹をなし、革命や戦争までも引き起こすことのある「(ヒューマン)ライト」ですね。

福沢諭吉は有名な西洋事情という本の中で、「訳語を持って本意を表すこと値わず。」として「ライト」に対しての翻訳を諦めています。

この言葉の重さを感じていたのかもしれませんね。

その時に、仏教用語から「演説」を持ってきた福沢諭吉の真似をして、「権利」を充てたのが西周です。


「権利」には「権力もって利益を得る」という力ずくのニュアンスが伴っています。
したがって、「権利」を聞くと反射的に「義務」を持ち出してしまうのは無理のないことなのです。


「リバティ」「フリーダム」や「ライト」と「自由」や「権利」との違いは、100年以上を経て根本的な部分で考え方のズレを生んでいるのではないでしょうか。

この時期には「こんな安普請で文化を作っていいのか。」と言う漱石のような批判もありました。
その漱石も、たくさんの言葉を生み出しています。


また違う分野を見てみましょう。

哲学、科学、思想、進化、学校、理想、常識、意識、芸術、理学、物質、元素、原子、引力、電気、主観、客観、定義、命題、前提、演繹、帰納、失恋、接吻、文明、文化、宗教、理性、感性・・・

国語もそうですね。
何となく元から中国にあったのではないかと思われるものが多くありませんか?

ほとんどのものが中国へ逆輸出されていますので、時代によっては錯覚するかもしれませんね。


一般的な言葉で見てみましょう。

野球、郵便、銀行、支配、批評、観念、印象、交通、鉛筆、会話、計画、原則、危機、情報、環境、信用、王道、道場、警察、法人、常識、強制、工業、論文、新聞、社会、図書館、金融、保険・・・

中国への逆輸出は、中国の近代化が進んだ日清日露戦争の時代に、中国人の留学生によって日本語の書物が翻訳されていったことが大きいと言われています。

「中華人民共和国」の「人民」も「共和国」も和製漢字であり、国名のみならず中国の体制に必要不可欠な概念まで和製漢字が入り込んでいます。


また、1860年ころに中国(清)で翻訳された国際法の解説書である「万国公法」が、幕末に日本に伝えられた時は以下の漢字が伝えられました。

国債、特権、平時、戦時、民主、野蛮、越権、慣行、共用、私権、実権、主権、上告、例外・・・


こうなると、もはやどっちで作られた言葉かわかりませんね。


漢字文化圏にある国は、中国、大韓民国、台湾、ベトナムにおいても残らず和製漢字をそれぞれ自国の読み方で取り入れています。

私たち自身が、日本生まれの言葉であると知らないものがたくさんあるのですから、どこで生まれた言葉であるかはあまり関係がないようですね。


漢字の造語力にはものすごいものがあります。
しかも、現代では世界で唯一の表意文字です。

文字にした時にその意味するところがより鮮明になる言語です。
議論や討論よりも読み書きによってより理解を深めることができる言語です。

発音はできなくても文字を見れば意味を感じ取ることができるのです。


漢字文化圏以外では、書くこと読むことに対しての重要度が私たちが思っている以上に低くなっています。
識字率は一定以上にはなりません。

それでも問題なく生活していけるのです。


世界で唯一存続している表意文字である漢字に、新しい日本独自の使い方である訓読みを生み出した日本は、使用言語においては世界でも圧倒的な立場にいるのです。

思考はすべて言語によって行われます。
この言語を使いこなしている日本人は、いったいどんな思考をしているのかは一つの研究対象となっていますが、いまだによくわからないことだらけです。

安易に英語を取り込まないで、大事にしていきたいですね「日本語」。