2014年1月11日土曜日

気づかなかった日本語の特徴(4)

今回取り上げる日本語の特徴は、その表現力の豊かさについてです。

私が日本語について調べ始めたころは、特に英語と比べたときの日本語の表現の曖昧さが嫌でたまりませんでした。

自分の使用言語として日本語を持っていることに劣等感を抱いたりもしました。

ところが、ある時から全く反対の評価をするようになりました。
日本語ほど正確な表現が可能な言語はないと思うようになりました。

そんなこと書いてみたいと思います。


日本語の特徴
  1. 世界のどの言語体系にも属さない孤立言語
  2. 文字のない時代の言葉をそのまま受け継ぐ言語
  3. 自然の音を「言葉」として受け取る感覚を持つ言語
  4. 比類なき多彩な表現力を持つ言語
  5. 世界の最先端文明を取り込んだ言語
  6. 使いこなすことが世界でも最も難しい言語のひとつ

4.比類なき多彩な表現力を持つ言語
英語との比較において日本語の表現力を見てきたときには、一つひとつの表現の曖昧さが目につきました。

文法の運用についても、例外使用の多さが目立ちすぎて、果たしてこれで文法と言えるのかどうかと思ったりもしました。

特に省略される言葉の多さに驚きました。

会話で何気なく使っている文においては、主語はおろか述語までが省略されていることもあり、対象となる一文だけでは意味すら分からないものもあります。

また、日本語の表現の曖昧さに触れた資料はたくさんあり、今までにも目にしてきていたために、先入観として日本語は曖昧な表現しかできないと思い込んでいたところがあります。





これをひっくり返してくれたのが、明治維新期におけるヨーロッパ文明の導入です。

開国をしたのはいいが、国力がないのでそのままではあっという間に列強の植民地としての草刈り場になってしまうところでした。

それを防ぐためには、一日も早く対抗できるだけの国力を付ける必要がありました。
その基本政策が富国強兵です。

徹底的にスピードを伴ってヨーロッパ文明の吸収が行われました。

法律の制定から、政治制度や教育制度、医学や物理学・化学などの自然科学の最先端の知識、芸術・文学・哲学などのあらゆる分野にわたって行われたのです。

この時のことを夏目漱石は批判して「こんなに安普請で文化をもってきていいのだろうか」と言っています。

しかし、その漱石自身が明治文化の担い手のひとりであったことは否定できません。


様々な分野の遣欧使節団が出されて、直接ヨーロッパの文明に触れてくるとともに、数多くの知識が書物としてもたらされました。

この時に日本語として理解するために大活躍したのが漢字です。
数多くの新しい漢字が生み出されました。

憲法、民法、自由、責任、義務、哲学、統計、理論、演説、賛成、人民、などあらゆる分野にわたって新しい言葉が作り出されていきました。

やがてこれらの言葉は、中国に逆輸出されて定着していくものが出てきます。
現代中国の言葉のうち、1割以上は和製漢語と言われる日本製の言葉となっています。

中華人民共和国という国名ですら、もともとの漢語は「中華」のみです。
「人民」も「共和国」も日本で作り出された言葉が、中国にわたって定着したものです。


あらゆる分野における日本語への翻訳が、新しい言葉の作成と同時に行われました。

中には慌てて新しい言葉をあてはめたために、元の言葉の持つ意味とは微妙に違った意味を持つ言葉も出てきました。

福沢諭吉が訳をあきらめた言葉の一つに「ライト(right)」という言葉があります。
結果として「権利」という言葉を見つけてきたのは、西周だと言われています。
「ライト(right)」に充てた言葉ですが、元の言葉の意味としては「権力をもって利益を得ること」でした。

私の感覚に中には「権利」という言葉に対して、何となく力ずくだとかいい意味だけではないものを感じるものがあります。

「ライト(right)」の侵してはならない人として持っている絶対的なニュアンスと違いがあります。

私たちは「権利」という言葉に対しては、反射的に「義務」が浮かんだりしてしまうのは、正確な意味は分からなくとも「権利」という言葉の感覚が分かるからです。

「ライト」と「権利」の違いは、時代とともに広がっていくのかもしれませんね。


いずれにしても、漢字のもつ造語力のおかげで新しい言葉や新しい意味がたくさんできました。

後に日本語訳されたものを読んで確認した原著者は、自国の言葉で書いたものよりもより正確に表現されており、間違えも発見しやすかったと述べている者もいるくらいです。

日本語の表現力としての幅の広さは、情景や感情の表現だけではなく、様々な分野におけるより的確な表現のためにも生かされていったのです。

そこでは、専門分野のことを翻訳するためにより専門家になる必要もあったと思われます。
そのことが、素早い文化吸収を助けたこともあると思われます。


現代の日本は翻訳本の宝庫と言われています。
世界中のあらゆる分野において、日本語に翻訳された本が一番多いと言われています。

韓国やインドの学生は日本語を勉強して日本に来ることを目指す者が多くいます。
そのほとんどの人が、理由として世界の最先端の知識が日本語で手に入ることを挙げます。

彼らの国の最高学府の限られた者しか触れることができない外国の資料が、日本では町場の本屋に並んでいるのです。
彼らの国にも翻訳本はありますが、本当に限られた分野のものしかありません。

世界の最先端の知識や技術が、定期的にしかも精度を維持して翻訳されているような環境はないのです。

世界の知識や技術を比較して学ぶには、アメリカやヨーロッパではなく日本において日本語で学ぶことが一番の早道であることを知っているのです。


日本人であっても、専門分野の精度の高い翻訳本に代表される表現に触れることはめったにありません。

日本語の対応力の幅の広さを感じざるを得ません。

日本人として日本語話者として生きていても、自分の使いこなしている言葉は、日本語としてはほんの一部にしか過ぎないのでしょうね。

日本語は本当に大きな言語だと思います。

ひとことに日本語といっても、その中身は一人ずつ違うものになっているのではないでしょうか。

伝えること、理解することに対してはもっと慎重になったほうがよさそうですね。

自然界の音から音楽や専門的な技術や知識まで、あらゆることを的確に表現できる力を持っている言語なのですから、しっかりと使いこなしていきたいですね。





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