話し言葉と書き言葉ではどちらが思いを伝えやすいだろうか?
研修講師のトレーニングを受けていて、ふとそんなことが思い浮かびました。
話し言葉と書き言葉ではメッセージを受け取る側が使っている機能が異なりますね。
話し言葉の場合は相手が目の前にいて、状況によっては五感のすべてを使って伝えることができます。
これに対して書き言葉の場合は相手が目の前にいない、文字だけのメッセージになりますので視覚のみに訴えることになります。
話し言葉でもメディアを介して受け取る場合は聴覚のみであることが多く、時には写真や画像といった視覚へ訴える補助がありこともあります。
人は60%以上の情報を視覚から得ていると言われています。
視覚に訴えることができないメッセージは、それだけで伝えるチカラとしては不利であることになります。
音声だけの伝達機能しかない電話においては、相手の想像力に頼ることが多くなります。
また、
相手を目の前にして話をしていると、自然に目に入っていまうものがあります。
相手の所作が言葉と同時に視覚でとらえられます。
視覚と聴覚は同時に機能しますので、言葉と所作・態度が不一致でない限り普通に言葉通りのメッセージが伝わっていると思われます。
ところが、
言葉と所作・態度に不一致が感じられると、視覚で入った情報の方を信用するようです。
その言葉に対して「?}と感じるようになるようです。
言葉にさらに思いが乗った所作は、言葉のインパクトを強めてくれます。
その言葉をより強く・深く相手に届けてくれます。
意識してこれをやって大袈裟だと受け取られると、言葉自体に「?」が感じられてしまうこともありますね。
心の底から本当に思いを伝えたいと思っているときは、自然と所作に出ます。
作られた所作ではなく、体全身で思いが発せられます。
様々なトレーニングでボディランゲージに出会うことがありますが、日本人には合わないものが多いですね。
文化と生活環境に根付いた所作の分析でないと、かえって間違えた情報を付与することになりますね。
今回のトレーニングでは思いを伝えられる側の立場でした。
それでも、本気で思いを伝えているか、そうでないかはすぐに感じることができました。
格好いい言葉だけが滑っていることは、きわめてよくわかります。
面白いもので、自分で格好いいと思って使っている言葉ほど、受ける側からすると「?」となるのがよくわかります。
だからそのことについての質問が返ってきます。
すると、元の発信した方は、食いついてくれたと勘違いしてしまうようです。
私は思いの受け手側の経験は多くはありませんが、人を動かす思いの強さや本気というものは言葉の中身ではなく存在するのだということを改めて知りました。
作られた本気の態度なのか、心からの思いなのかは受けている側はすぐにわかるものなのですね。
テレビでは毎日、思いのない言葉と映像が垂れ流され続けています。
これを毎日見ていたら、言葉が信じられなくなるのは当たり前ですね。
視覚と聴覚が一緒に働いていることは、受ける側にとっては大きなメリットです。
発信側は本気になればなるほど、言葉に意識が集中します。
その時に出てくる自然な所作は、見事に言葉と強調して人に伝わります。
書き言葉としての文字だけで思いを伝えようとするには、かなりの文章力が必要になります。
視覚に入る文字そのものの印象も大きく影響します。
難しいですね。
本気の話し言葉。
上手に使いたいですね。