2013年12月13日金曜日

訓読みから見える「やまとことば」

漢字の訓読みは、もともと「やまとことば」としてあった音に漢字を充てたものが多く存在します。

訓読み漢字が多く存在する読みは、動きを表す言葉や状態を表す言葉が多くそれらの漢字を並べるだけで「やまとこば」として持っていた使われ方を想像できるのではないでしょうか。

一行目に出てきた「あてる」という言葉を見てみましょう。
「あてる」を訓読みとして持つ漢字は「当てる」、「充てる」、「宛てる」、「中てる」(常用漢字外)などがあります。

漢字を並べて見ているだけで、もともと持っていた「あてる」の持っている感覚が見えてきませんか。


「あてる」という動作は「やまとことば」で使われていたことが想像できます。
それと同時に、
かなり広い範囲の動作に対して「あてる」という言葉が使われていたことが想像できます。


「とまる」という訓読みの言葉があります。
「止まる」、「泊まる」、「留まる」、「停まる」(常用漢字外)などの漢字があります。

並べてみているだけで感覚が伝わりますね。


漢字を使い始めた頃より、漢字らしい伝わり方の方が「やまとことば」の音よりも重きを置かれてきました。
漢文調というやつですね。

音読み漢字による熟語が最も漢字らしい使い方として、訓読みやひらがなよりも表現としては格が高いとされてきました。
この感覚は今でも残っているところがたくさんありますね。

漢字の訓読みとしての「止まる」、「泊まる」、「留まる」、「停まる」は、話し言葉としてはすべて「とまる」です。
ひらがなで話しているのと全く同じです。

音としてもひらがなと明確な区別をつけたい、格調高い言葉を使いたいそのためにできたと思われる熟語があります。
「停泊」、「停留」、「停止」などです。

音読みが重なりますので、きわめて漢字らしい音になります。
話し言葉としても、いかにも漢語を使っているという感じになりますね。

無理やりに訓読みにでもすると「とまるとまる」とでもなるのでしょうか。



今度は同じ訓読みでももう少し数の多い言葉を見てみましょう。

取り上げるのは「とる」です。
「取る」、「採る」、「撮る」、「捕る」、「執る」、「摂る」、「獲る」、「盗る」、「録る」などですね。

何とも賑やかなことになってしまいました。

これだけ並ぶと「やまとことば」としての動作も掴みやすいですね。

熟語もたくさんですね。
「採取」、「捕獲」、「摂取」、「盗撮」など。



漢字の数は少なくても特徴としては見やすいものもあります。

「みる」という読みと持つ漢字です。
「見る」、「観る」、「診る」、「看る」、「視る」などです。

これも話し言葉としてはひらがなで「みる」と聞こえて、区別はできません。
前後の脈絡がはっきりしていないと、聞いている人はどの漢字で聞き取っているかわかりませんが、「みる」という動作としての感覚は伝わります。

熟語になってしまいますと、漢字そのものが思い浮かばないと音だけでは全く意味のない言葉になってしまいます。


ひらがなと漢字の訓読みを合わせて「現代やまとことば」と呼んでいますが、話し言葉だけを取ってみればすべてひらがなです。
ひらがなだけで動作としての感覚は伝わります。

書き言葉でフォローができる場合には、訓読み漢字を使うことによってさらに動作の内容が具体的に表現できることになります。
その場合は熟語を持ってきて、言葉の意味をより具体化してくことも可能ですね。

漢字の熟語や音読みについては、文字として表現できる環境がないと伝わりにくくなります。
話し言葉だけしか表現手段がないときには、「現代やまとことば」が威力を発揮することになるのではないでしょうか。

伝達手段にによって言葉を使い分けることも必要なことになってきますね。