一般的な大学を卒業して社会に出るまでの間に、学生として過ごす期間は16年を超えることになると思います。
小学校入学までの期間は、家庭において育児の中心がなされ、保育園・幼稚園がその補助の役割をしています。
小学校以降になると、学校での生活が中心となり、家庭での生活が補助的なものとなっていきます。
社会に出たときに一番ギャップを感じることが、ものごとに対処するときのアプローチが学生の時と大きく異なることです。
学生の時はほとんどの場合に正解がありました。
自分で考え付かなければ、誰かが正解を持っていました。
どこかには必ず正解がありました。
いかに早く効率的に正解を見つけるかが能力評価の中心であり、見つけられた正解そのものにはあまり価値がありませんでした。
社会に出た後は、ほとんどのことに正解はありません。
どこにも正解はありませんし、誰かが持っているわけでもありません。
保証のない中で自分の意志で決めていかないと進めません。
進めなければ結果は出ませんから、何もしていないの同じことです。
社会での評価は結果のみです。
結果が認められた時に初めて過程に目が向けられます。
中小、ベンチャーと言われる企業の方が、社会とのかかわりが厳しいと思われます。
歴史のある大企業や公務員は、社会との関わり合いにおいてには、学生生活に近い部分がたくさんあります。
一般に言われるいい大学を出て、歴史ある大企業や公務員になった場合は、社会とのギャップをあまり感じることなく組織に馴染んでいくことができると思います。
そこには日々の業務の中に経験と定型に基づく手続きという正解が存在するからだと思われます。
直接的に社会と接触することよりは、社内的・組織内的な活動の方が多くなってきますので、手続き的なことが増えて正解があると勘違いするからです。
経験と定型という蓄積のない中小・ベンチャー企業においては、日々の活動が社内接点よりもはるかに社会接点の方が多くなります。
正解が存在する範囲がきわめて狭くなります。
結果を待てる時間的余裕も中小・ベンチャー企業の方が厳しいことになります。
このような現状を考えると、歴史ある大企業や公務員として社会人生活を完了することが理想だと思います。
かつての終身雇用が前提の社会ではこれができていました。
大企業や公務員で定年を迎えた人は、退職金+年金である程度のゆとりを持った残りの人生設計ができました。
上手くすれば社会との接点は学校+会社で完結することもできました。
今では、前提が2つとも崩れました。
終身雇用の保証はどこにもありませんし、中途退社の可能性の方がはるかに高くなっています。
退職金+年金では残りの人生設計ができません。
つまり、
いつから関わるかは別にしても、個人として社会と接点を持ち経済的補助ができることが必要になってきます。
否が応でも、個人として社会と厳格にかかわっていかなければならなくなります。
学生の時は学校という特殊フィルターを通して社会とかかわってきました。
卒業後は会社に入って社会で活動してきたと思っていますが、大きな間違いでした。
会社という学校よりは少しだけ目の粗いフィルターを通して社会とかかわってきただけでした。
時間という命の一部を会社に切り売りして、経済的な対価をもらっていただけでした。
個人として社会に直接働きかけ、価値を提供して、その対価としての経済的収入を得ていたわけではないのです。
中小・ベンチャー企業で育った人は、個人として社会とかかわることに慣れています。
もともとは個人で事業を始めた人も多いでしょうから、そこはまさしく個人としての社会とのかかわりです。
従業員であったとしても、身近に社会接点での活動を感じていますので個人としての活動にも慣れていることでしょう。
問題は学校のような組織の中で社会人としての経験を積んできてしまった人です。
ほとんどの人がここにいます。
気づいた人はとっくに動き出しています。
様々な場面で社会性のない自分に気づきながらも、何とかしようと動いています。
簡単には結果は出ません。
正解を探していますから、いつまでたっても行き当たりません。
SNSの世界で動き出している人たちは、そんなことが気になっている人たちではないでしょうか。
そこには、
そういう人たちを食い物にしようとしている輩もたくさんいますが・・・
否が応でも個人としての社会接点が増えてきます。
生きぬいて行くためには避けることはできません。
その時の一番の武器はコミュニケーション力ですね。
言語力ですね。日本語ですね。
リアルでたくさんの人に合って、いろいろなことを一緒にやれるコミュニティに積極的に参加することから作っておかないといけないですね。
これが一番の早道のようです。