2013年12月26日木曜日

2013年に思う(1)・・・やまとことば

2013年が残り一週間を切りました。
今まででしたら、「今年も残すところ・・・」と書いていたと思います。

ブログを書き続けて来たことによって、間をおいて読み返す時のことを考えられるようになりました。

記録としてブログを公開した日付はどこかに残りますが、本文ですぐにわかるようにしておきたいと思っています。

今日(26日)から今年いっぱいは、4月から毎日書き続けてきた中身について少し振り返ってみようと思います。


今日は、まずは「やまとことば」です。

「やまとことば」も人によって定義が微妙に異なることがわかりましたが、自分の中では「古代やまとことば」と呼ばれる、漢語導入前の文字のない時代に使用されていた話し言葉だけの原日本語として理解しています。

仮名の発明によって文字を得た「やまとことば」は、紀貫之らの貢献によって「ひらがな」文学の地位を得て、現代にまで継承されてきました。

2000年以上前の言葉が、現代においても日常言語として使用されていることは、世界の他の言語と比べても奇跡と言えることだと思います。



「やまとことば」に触れるきっかけとなったのは、さだまさしであり谷村新司です。
彼らの曲というよりも詞がとても好きで、よく歌っていました。

「やまとことば」を知った時に、彼らの詞の中に「やまとことば」を見ることができたのが、言語に興味を持ち始めたきっかけでした。

自然を表現する言葉や心情を表現する言葉に、日本語本来が持つ優しい響きが感じられることが不思議でした。

自分で曲を作り始めて詞を書くようになってからは、言葉に対する興味はどんどん深まっていきました。


自分の中では一般的に言われる「やまとことば」との時代の整合を取りながら、以下のように使い分けをしています。

「古代やまとことば」・・・漢語導入以前の話し言葉しかなかったころの原日本語。

「やまとことば」   ・・・「かな」発明以降、主にひらがなで表現される日本で生まれた言葉。
広い意味で外来語や外国語と区別するために、日本独自の言葉として使うこともあります。

「現代やまとことば」・・・明治維新以降に作られた言葉や、戦後に作られ修正された言葉までを含んで、現代使用されている言葉のうちの「ひらがな」言葉と漢字の訓読み言葉を合せたものをこう呼んでいます。

「現代やまとことば」の一番の例は歌の歌詞ですね。
谷村新司の「昴(すばる)」は音読み漢字を一字も使っていません。
すべて、ひらがな言葉と漢字の訓読み言葉で書かれています。

だから、耳にやさしく響くのですね。



「やまとことば」をたどっていくと、イスラエル語(ヘブライ語)との共通性が浮かび上がってきました。
「やまとことば」のなかでイスラエル語と同じ発音で同じ意味を持つと思われる言葉が50以上存在します。
また、日本語として少し変化したと思われるものを含めると、イスラエル語を原点とした思われる言葉は3,000語を越えると言われています。

そんなことから検証していって7月3日に書いた「伊勢神宮にユダヤの陰が」のブログは、伊勢神宮の遷宮のブレイクもあり他のブログの3倍以上のページビューとなっています。

過去において何人もの言語学者が渡来しながらも決定打がないのが、世界の他の言語の系統と比べた日本語の特殊さです。

どの系統にも共有できない、言語界の孤児として扱われることが多くなっています。


ここまでブログを続けてこれたのは、「やまとことば」から広がっていった様々な世界において、確固たる定説がなかったことが大きいと思います。

自分の経験と想像の中で好き勝手なことが言えました。

そこから新しい発見もたくさんできました。

自分の中で「やまとことば」を抜きにしては2013年は語れない年になりました。
まだまだここからの広がりはたくさんありそうです。
当分は言葉や言語にこだわってみたいですね。