2013年11月7日木曜日

表現を磨く方法

学校教育では、表現をする技術についてほとんどく習得できないことは、何度も触れてきました。
(参照:国語教育の問題について

でも、私たちは表現をしないと生きていけません。
体調が悪いときやどこかへ行くときに、自分から表現をしなければ何もしてもらえません。

自動販売機で切符を買うことも表現の一つです。


表現することの基本形は人対人です。
バーバル・コミュニケーションと言われることもありますが、言語による会話が表現の基本となります。
人は人との接触の中で生きていきますので、表現の能力によっては大きく人生が変わってしまいます。

最低限の必要な基礎能力ではありますが、その能力次第によっては大きな力になるものでもあります。
しかも、
表現によっては、自分の気づかないうちに、自分の意図しない印象を相手に残している事もたくさんあります。
場合によっては、伝えたいことと反対のとらえ方をされることすらあります。

更には、
通常の場合には、相手がどのようの受け止めているかを確認していません。
一方的な表現によって、表現した側が勝手に伝わっただろうと思っていることがほとんどです。


これほど大切なことなのに、学校教育ではほとんど触れられませんし、習得する場所もほとんどありません。
学生が学会で論文を発表したり、演劇部や落語研究会に所属したりでもしていなければ、表現することを考える場面すらないのではないでしょうか。


社会に出て初めて、自己紹介から始まる交渉事に触れるようになります。
それまで、一番大きな違いでも先生と生徒の関係だった社会から、利害関係や権利義務関係を前提とした幅広い立場の人との交渉事をすることになります。

同じ社内であったとしても、同僚から先輩、上司、役員、社長まで様々な立場の人がいます。
相手の立場によって、または自分との関係において、全く同じ内容を伝えるにしても表現が変わってきます。
このギャップに対応できなくてうつ病になる新人が後を絶ちません。


学校教育によって、表現を磨くことは不可能です。
なぜならば、教える側の表現力が乏しいからです。
教える側はほとんどの場合、学校教育を終えてからそのまま教育の現場に入っています。
きわめて閉鎖的な社会の中でのコミュニケーションしか必要とされません。
一般的な社会経験がありませんので、その表現力は一般的な社会人に比べると相当低いものと言えます。

教科書をつくっている側でも同じことが言えます。
ほとんどが学者です。
一般的な社会での表現力を必要としない人たちです。
言語学やコミュニケーション学の学者であっても、彼らのフィールドは学問の世界であって、その中での表現力しかありません。

実際の表現力を磨くことはできなくとも、表現力を磨くための技術を教えることは可能なはずです。
そのヒントは、社会を見渡せばいたるところに転がっています。

企業ではやりの研修やセミナーを見ればすぐわかります。
ビジネススキルだとかビジネスマインドだとか、ビジネスと名のつくトレーニングが腐るほどあります。
中身を見ればそのほとんどがコミュニケーションについてのモノです。
一般的なモノから特定の企業様にカスタマイズされたものまでたくさんあります。
これらを参考にすれば、いくらでも学校教育の中で表現力を磨く技術を教えることができるでしょう。

学校教育というのはきわめて閉鎖的な世界でとても排他的です。
内部発生的な改革はほとんどできない社会です。
一般的な公平な競争原理とは異なった利益享受者が、独特の構造で巣食っている社会ですので変化に対してはとても批判的になります。
技術の元は目の前にあるのに、必要であることは分かっているのにできないのは、こういうことがあるからですね。


表現を磨くためにはとにかくアウトプットをすることです。
今できる限りの表現でアウトプットすることです。

人は存在するだけでアウトプットをしています。
服装もアウトプットです、名前もアウトプットです、動作もアウトプットです。

でも、私たちの表現の一番の武器は言語です。
会話でも文章でも言語が表現のための一番の道具です。
言葉を発し、文を発信することが第一歩です。
他の人の耳に、目に触れることが必要です。

自分の表現が人に触れることによって、触れた人との間でシェア(共有)が起こります。

シェアが繰り返されることによって、この人はこういう言い方をするんだなということがわかってきます。
シェアは理解の前の段階です。

シェアを繰り返していくと、シェアに対しての反応が欲しくなってきます。
自分のアウトプットをどのように理解しているのか、自分の表現に対してどういう理解をしているのかが知りたくなります。

シェアは自分の表現をそのまま受け止めるだけですが、その表現に対する理解は受け止める人によってすべて異なります。
目の前にある物体を見ても、その理解においては一人ひとり異なるわけですから、表現された言語に対しての理解はもっと大きく異なるはずです。

反応が欲しくなったら、そのことをアウトプットするのです。
今の自分にできる限りの表現で、反応を求める表現をするのです。
その表現をシェアするのです。
「どう思いますか?」「あなたのご意見は?」などが一歩目でしょうか。

ここで得られたせっかくの反応に対して、そう思っているのかと自分で解釈して、それきりになってしまうことがあります。
ここで得られた反応が宝物です。

その反応はあなたのアウトプットをシェアしてくれた人からのアウトプットなのです。
あなたのアウトプットに影響された人が起こしてくれた表現なのです。

アウトプットの量が多い人は、反応も多くなります。
すべての反応に目を通すことすら難しいかもしれません。

でも、私たちのアウトプットの量はそんなことはないはずです。
ましてやシェアしてくれる人の数や、反応の表現を返してくれる数は決して多くないはずです。

反応の表現に必ずアウトプットで答えましょう。
まずは「シェアしました。ありがとうございます。」でいいではないですか。


理解した内容や、意見を返してくれたら、たまらなく嬉しいですね。
そのことを必ず返してあげましょう。
意見のやり取りでなくてもいいのです。
表現を磨くためのやり取りでいいのです。

こういう表現をしたら、反応が少し増えるかなと考えることは楽しくありませんか。
反応に、返事をしたら、また反応が来たら楽しくありませんか。


SNSの普及によって、アウトプットできる機会は格段に増えてきました。
おはようございますのやり取りも否定はしませんが、表現を磨くためのツールとしてとても役に立つと思います。
アウトプットをシェアしてもらうツールとして気楽に使えるものだと思います。

SNSの短い文章を1時間も考えて書く人はいないでしょう。
みじかい時間でサッと書いた文章こそ、今の自分の表現力の表れだと思います。
おはようございますの後に、一行だけでも何かを表現してみるだけで、毎日の表現の練習にはきっと効果があるはずです。
そんな使い方をしていきませんか。

コメントを投稿