日本語は言語学的には世界の孤児だと言われています。
日本の文化圏としては中国を中心とする漢字文化圏に属します。
ところが、文字としての漢字の影響は多大なものがありますが、ひらがなを中心とした言語としての特徴はあまりにも漢字言語から離れています。
日本語は世界でも系統関係の不明な孤立言語となっています。
人の思考は言語によって司られています。
言語の限界が思考の限界であり、言語の限界が表現できることの限界です。
ものごとを認識することも言語でなされます。
言語の限界が認識できることの限界になります。
私が日本語にこだわりだした大きな理由がここにあります。
つまり、
日本語を母語として持ち、日本語によって思考をしている私たちは、考えることや存在そのものが世界でもきわめてユニークなものなのです。
いろいろな分野で国の境界がなくなってきました。
厳然として明確に残っているのは、地理的、政治的、国籍よるに拘束程度のものではないでしょうか。
日本人が自分たちの特異性を気づかずに世界に出ていくことは、結果として相手の思考に合わさざるを得なくなります。
世界の他の言語はほとんどが大きな系統に組み込まれており、その大きな系統ごとに特徴が定まっています。
しかも、日本語以外の言語はそれぞれの特徴に見える差が、日本語に対して見える差よりもはるかに小さいのです。
つまり、
日本語だけが世界の中で、きわめて特殊な言語として存在していることになります。
更には、
日本語を母語に持ち日本語を使いこなす者は、世界においてきわめて特異的な思考をすることができるということが言えるのです。
近年、世界とくに英語圏において日本語の研究が徹底的になされた痕跡があります。
そのきっかけとなったであろうことがあります。
自然科学分野におけるノーベル賞の国別受賞者数です。
自然科学の3分野は、化学賞、物理学賞、医学生理学賞です。
2000年以降この3分野における国別受賞者数の1位はぶっちぎりでアメリカです。
しかし、そこには原国籍がアメリカ以外の人が多く含まれていることは知れ渡っていることです。
第2位が日本なのです。
しかも、全ヨーロッパを合わせた数よりも多くの受賞者を日本単独で占めているのです。
そして、ips細胞の山中教授の受賞に至っては、製薬会社を中心として世界中の対象学会で教授の論文引用を行い、決して高くなかった下馬評をもひっくり返してしまいました。
もう一つの理由が出雲大社、伊勢神宮の遷宮が重なったことによって、数年前からあることに興味の対象が絞られたことがあります。
イスラエル(ユダヤ)と日本の関係がそれです。
このことについては様々な分野でいろんな人が、その関係を肯定せざるを得ない検証をしています。
私のブログでも何回か取り上げています。(参照:やまとことばとイスラエル語)
彼らにとって、旧約聖書の舞台でもあるイスラエルはキリストの原点です。
そのキリストの原点を滅ぼしたのは、それもまた彼らの原点です。
国を追われたイスラエル(イザヤの子孫)は日本に行きついて、国を作った可能性がきわめて高いのです。
出雲大社の60年遷宮(きちんと60年ではない)と伊勢神宮の20年遷宮で改めて注目を集めた2大社は、イスラエル文化の伝承跡の宝庫なのです。(参照:伊勢神宮にユダヤの陰が)
世界の孤立言語である日本語は、イスラエル語との共通性がきわめて高いのです。
イスラエル語を源とすると思われる言葉だけで3,000語以上あると言われています。
日本語を研究した彼らは、言語としてのその表現力の高さに打ちのめされたと聞いたことがあります。
彼らが不思議に思っていたことの一つが、日本人の他言語への対応力です。
相手の言語にふさわしい表現をするために、自分の言語を多彩に使い分ける能力です。
言語の使い分け能力と言っても良いでしょう。
日本語の対応力の高さは何回か書いてきましたので確認していただけると思います。
どうやら、日本語の言語としての能力の高さを一番知らないのは、私たち自身のようですね。
せっかく授かった母語としての日本語と日本語による思考力を、もっと知っておいたほうがよさそうですね。