2013年11月30日土曜日

考える力は有限かな

久しぶりにブログについて生みの苦しみを味わっています。
ただし、これを楽しんでいる余裕があります。

書かなければいけないという焦りもありませんし、継続していた更新が途切れれてしまうという不安もありません。

実は、この状態が来るのを望んでいた自分がいるような気がします。

特に大きな障害でもなければ、一本のブログは30分もあれば書けることがわかりました。
継続することで表現の仕方がこなれてくるのもわかりました。
自分のこととしてどこまで言い切っていいのかもわかってきました。

もちろん批判や反論があることもありますが、それも素直に受け止めることができるようになりました。
反対に、それによって教えていただくこともたくさんあることもわかりました。

実は、今日の生みの苦しみは、何か新しいきっかけが生まれそうな感じがしています。
新しいアイデアか、新しい結びつきか、何かがチラチラしていますが、うまく表現できないでいる感じです。
たぶん何かのきっかけがいるのでしょうね。



書き出してみてもだめですね。
まとまっていませんから、書けば書くほど何を書いているのかさっぱりわからなくなってしまいます。
しまいには、何を考えていたかさえ分からなくなります。

こんな時に私が採る方法は2つのうちのどちらかです。
1つは、そのことについては放っておいて、今までと同じような感じで違うテーマを扱うことです。
もう1つは、今の感覚にとことん付き合ってみることです。

結果として、最初の方法とったっ場合には、何かが生まれそうだった感覚がいつの間にか消えていくことがわかりました。
ブログを継続することのみが目的になってしまって、何かがあったことすら覚えていません。

とことん付き合ってみるには、目先のブログが途絶える不安感がありますが、そこは意志の力に頼ることになります。

つまり、同じような感覚で違うテーマで先にもう一本書いてしまうのです。
頭はそこにありません。
結果として駄作になるでしょう。
でもいいんです。

それによって、自分の中でブログを継続したという安心感が生まれます。
一本書いていますので、何かが生まれそうな感覚はどう表現してもかまわないという安心感が生まれます。

殴り書きで、出てくる言葉や思いつく言葉を構成もすることなしにどんどん出していきます。
下書きの落書きみたいなものですね。

思いつくまま書き出します。
どんなものができると思いますか?


実はマインドマップみたいなものができるんですね。

書き出した言葉(キーワード)を線で結んだり枠を付けてみたり、並べてみたり関係を付けてみたりを自然にしているんですね。

その場でクリアになることもたまにはありますが、大概は何だかわからないものになります。

クリアにならない時は、とりあえず思いついたテーマと日付だけ記入して放っておきます。

これってものすごく頭を刺激しますね。
アイデアフラッシュのままでまとまっていないものって、ものすごく気持ちが悪いんですね。
気になって仕方がないんですね。

何かの方向性が出てくることもありますが、私の場合はその日のうちはほとんどキーワードの追加程度のことで終わります。


ポイントは翌日です。

頭自体がクリアでその言葉群(落書きの出来損ないみたいなものといったほうがいいかもしれません)を見たときに、何かが出てきます。

前日思っていたこととあまり関連性がないことも多々ありますが、今までの自分の思考とは少し違ったものが出てきます。

考えるということも有限なのかもしれないですね。
しかも、一日のうちでも本当に考えられる時は意外と少ないのかもしれません。

何について考えるかも選択して行わないと、考える力の無駄遣いがあるのではないかと思っています。

その補助をすることが書き出すことではないかなと思っています。
書き出す時は、なるべく考えずに思いつくものを感じるイメージの中で配置していくことに専念すれば面白いことになるのではないかと思っています。

朝に頭の回転がいいという経験はほとんどの人が感じていることだと思います。
一晩休んでリフレッシュした思考力が蘇っているということではないでしょうか。

一日に使える思考力が有限なのかもしれませんね。
寝ることによってふたたびチャージされるのかな。

書き出しながら考えると、何となくまとめる方向に動いてしまう気がしています。
書き出す時は、できるだえ考えずに言葉に引きずられるままの方がいいようです。


有限な思考力をカバーするために習慣化・パターン化があるのかもしれないですね。

こんなことを思いつくこと自体が年を取ってきた証拠でしょうか。