幼児期に習得すべき大切な言語として母語については何回か述べてきましたが、親にとっては母語よりも言葉がちゃんとつかえるように発育しているかどうかの方が気になります。
その結果として身についている言語が母語だと言ってもいいでしょう。
ですから、
一人ひとりが習得する母語は、語彙数も言葉の種類も様々で、きわめて独自性の強いものになります。
これが母語ですと言う具体的な言葉があるわけではありません。
結果的に5歳くらいまでに習得する言語のことを母語と呼んでいるだけです。
すべての人が異なる母語を持っていることになります。
この母語が大切だと言われる一番の理由が、幼児期の脳の発達に大きく影響をするからです。
母語を習得しながら、母語を使いながら脳の機能が定まっていくからです。
広い意味で日本語を母語とする場合と英語を母語とする場合で、脳の機能が異なってくることはすでに分かっていることです。
細かく見ていくと、ひとりずつ母語が異なるわけですから、一人ずつ脳の機能が異なることになります。
幼児期の子供は母語の習得とそれによる脳の基本機能の形成のためだけにあると言ってもいいくらいです。
この時期に何かを教育として教え込むことは、内容によっては母語の習得に影響を与えてしまうことがあります。
一時ブームになった英才教育はまさしくそのものでした。
これによって将来的な一般的な生活に支障をきたした例は数えきれません。
そんな幼児期の言葉でも習得段階を知ることができるサインがあります。
個人差が大きいので参考程度にしかなりませんし、いろいろな見方もあるようですので実際には個別に専門医に相談するしかないのですが、ひとつの目安として見ていただきたいと思います。
幼児が言葉として発するのは1歳頃からだと思われます。
よちよちと歩き始めるころですね。
一語文と言われる「ぶーぶ」「わんわん」「まんま」のような言葉をしゃべりだします。
これは言葉としての音を発せられるようになったということで、理解できている言葉はもっとたくさんあると言われています。
理解できている言葉は使うことができる言葉の10倍以上あると言われています。
子供が話すことができるようになる前から、母親を通じて蓄えてきた言葉がすでにあるということですね。
反応はなくとも子供に語りかけることがどんなに大切かわかる気がしますね。
このころの言葉はオノマトペと言われるような同じ音の繰り返しの擬音語や擬態語が多いですね。
このオノマトペ語が大人でも体に影響することがわかってきました。
オノマトぺ語を使うと喋る前に比べて体が動くようになったりするそうです。
脳に与える影響が何かありそうですね。
この時期に大事なことが指差しができるようになることがあります。
使える言葉が少ないですので、指差しが言葉を補う大きな手段になります。
親が「にゃあにゃあ」といった時に、子供は自分では言葉として言うことができなくても、指差しをして理解していることを示すことがあります。
この指差しの延長として親の手を引っ張っていくことをするようになります。
親の手を引っ張って連れてきて「わんわん」ということがあります。
このような時は一緒に「そうだね、ワンワンだね、よくわかったね」と喜んであげることが大事なようです。
指差しは1歳6か月の定期健診時にも必ず行われている、発育の確認をするためのチェックとして行われているものです。
大きなサインですね。
2歳頃になると使える言葉が一気に増えます。
言葉の噴火とかことばの爆発と言われる時期です。
サインとしては二語文が出始めることになります。
「ちょうだい」を使えるようになります。
「まんま、ちょうだい」「わんわん、あっち」「ばーば、ばいばい」などの2語文が出始めます。
2歳6ヶ月を過ぎるとほとんどが2語文で言えるようになります。
自分の名前を言えるようになるのもこのころですが、これはかなり個人差があるようです。
指差しをしながら「目、鼻、口、耳、足」などが判別して言えるようになるのはこのころだと言われています。
「なに?」「どこ?」「だれ?」などの質問を盛んにするようになります。
あらゆるものに興味を示すようになります。
面倒がらずに何度でも答えてあげることが大切なようです。
3歳頃になると自他の感覚が付き始めるようです。
3語文が言えるようになってきます。
「ぼく」「わたし」などと自分を呼ぶことができるようにって、「ぼく、まんま、たべる」のような表現ができるようになります。
助詞は使えませんが、使える動詞が増えてきますので会話ができるようになってきます。
自分の姓名が言えるようになります。
名前を呼ばれると「はい」と返事ができるようになります。
ここから先はどんどん語数が増えて、長い文が言えるようになっていきます。
助詞がところどころに顔を出しますが、使いこなせるまではいきません。
環境によって使える言葉の個人差が出始めます。
幼稚園などの同じ環境で生活する時間が増えてきますので、そこでの共通言語が増えてきます。
このようにして母語が作られていきます。
一人ひとり違っていくのが当たり前ですね。
幼稚園に行き始める時期と、言葉が使えるようになる時期が合ってくるのが理想ですが、なかなかそうもいきませんね。
最大で1年もの個人差があるのですから、同じように対応するのはできることではありません。
共通言語の習得は幼稚園や保育園でできますが、個人としての多様性や独創性は家庭でないとできません。
多様性は両親だけでは難しいですね。
祖父母をはじめとする親族から、隣近所、地域社会でこともが得る経験と言葉が多様性の元になります。
このころ習得した言語としての母語は、小学校に入って習得する学習言語に替わっていきます。
しかし、多様性や感性は母語のまま残ると言われています。
言語としての感覚もそうですね。
日常言語としては学習言語(第一言語)に置き換わっていきますが、その言語を使う感性や感覚の基本は母語で養われているんですね。
ほとんど記憶に残ることのない母語ですが、言語としての基礎が母語によって形成されているから重要視されているのですね。
子供のサインを感じ取れる余裕をもって見ていきたいですね。