その後、もう少し現実的なものとしてわかってきました。
母語がわかりにくいのには理由がありますが、それも母語の特徴の一つからくるものと思われます。
現段階で見えてきた母語の特徴を挙げてみます。
・幼児期にしか習得できない、幼児期の脳の機能の発達に大きな影響を与える言語。
・その多くを母親から習得する一人ずつ異なる伝承言語。
・言葉だけでなく、その言語の持つ感性をも伝えられる言語。
・学習言語(第一言語)の習得が進むと、感性としては残るが記憶からは消えてしまう言語。
・学習言語の習得に必要な基礎言語。
母語の習得は4歳頃に完了し5歳以降では、母語としての習得はできなくなるようです。
実際の言葉としての習得はないのかもしれませんが、生まれたときから(人によっては生まれる前からという説もあります)母親がかけている声によって母語の習得が始まっていると言われています。
母語の習得がほぼ完了する4歳から小学校に入って学習言語を学び始めるまでの間は、母語による経験を積んでいる期間と言えます。
幼児期の脳は頻繁に細胞分裂を繰り返しています。
幼児期の記憶がほとんどないのは、記憶媒体としての言葉をほとんど持たないためだけでなく、脳の細胞分裂の激しさによって古い細胞がどんどん破壊されていっているからでもあるそうです。
大人でも破壊と再生は繰り返されていますが、幼児期はその繰り返しのスピードが尋常でないため、ある程度の発達スピードが落ち着いてくる10歳前後まではほとんど記憶が残らないという研究結果が発表されました。
脳の基本的な認識機能は4,5歳で出来上がっていると言われます。
認識するための器官は五感ですが、脳がそれと認識するためには言語が必要になります。
母語が脳の基本機能の発達に大きく影響していることは間違いないようです。
母語として習得する言語によって、脳の認識機能が異なることは30年以上前から知られています。
特に、母語としての日本語を持っている場合の特徴は際立っているようです。
(参照:外国生まれの理論の落とし穴)
小学校に入ってからの学校教育の中で学習言語の習得を始めると、日常の使用言語はどんどん学習言語(第一言語)に置き換わっていきます。
そのために小学校の中学年くらいになってある程度の学習言語の習得ができると、母語として習得してきた言葉が姿を消していってしまい、確認することが難しくなってしまいます。
それでも母語で経験してきたことが感性として言葉と結びついて刷り込まれていると思われます。
聞いたことのない古語や言い回しが何となく感覚としてわかるのは、母語として習得した言語のおかげだと言われています。
全国で画一的に教え込まれる学習言語ですが、同じクラスで同じ先生から習っても、言語上にも生徒一人ひとりの個性が出ます。
そこには母語の影響が大きいと思われます。
母語というとても個性の強い言語の上に、学習言語が日常の標準言語として習得されていくことになります。
母語はそのほとんどが母親から習得するために、伝承語とも言われることがあります。
幼児期の言語習得にははっきりと段階があり、注意してみていると親や保育士でなくともわかることがあります。
それは体の発育段階に比例しています。
自分で活動できる範囲に影響されます。
個人差はありますが、だいたい1歳頃によちよち歩きが始まります。
その前段階としてハイハイがあります。
それまで自分では居場所を変えることができなかったことから、自分の意思で動けるようになるのです。
それまでは母親からしか外部情報を受け取ることができませんでした。
このころから一語名詞である「ばーば」「じーじ」「かーか」などが発せられるようになります。
通常であれば1歳半で定期健診があります。
この時は肉体的な発育の確認と同時に、障害の早期発見の役割もあります。
指差しや積み木でチェックが行われます。
このころになると一語形容詞である「高い高い」「おいしおいし」が少しずつ発せられるようになります。
このころは自分の意思で動けますが、親の目の届く範囲です。
この時点での情報源もほとんどが母親です。母親の感覚をとおして外界を認識している状況と言えるでしょう。
2歳頃になりますと、2語は発せられるようになります。
「ぶーぶ、はやい」「まんま、おいし」「かーか、はやく」などが言えるようになります。
そしてこのころに言葉の噴火や言葉の爆発と言われる、一気にたくさんの言葉を発し始めることが起こります。
動作と言葉で自分の意思を表すことができるようになります。
直接接することができる人も増えますが、基本的な外部情報はすべて母親の感覚をとおして吸収していきます。
テレビや他の人から名詞や形容詞を習得することがありますが、必ず母親と確認しているはずです。
特徴的なミニカーを祖父から「ポルシェ」と教わったら、母親のところへ行ってそのミニカーを指して「ポルシェ、ポルシェ」とやっていませんか。
母親が「そうね、ポルシェね、よくわかるわね」とやるたびに子供はどんどん習得しているのです。
このようにして3歳頃になると、一語動詞を発するようになります。
自分が中心になっている時には、動詞がいらなくても困らないんですね。
動作が補ってくれるんですね。
自分以外の人の活動に興味を持つようにならないと、動詞が必要にならないようですね。
そうするとさらに明確に自分の意思が言えるようになります。
「まんま、まんま」 →「まんま」 →「まんま、たべる」 →「たべる」のように変化していくようです。
まだまだ自分が中心ですが、自分以外の人がいることをわかるようになってきます。
その人が何かをするということがわかってきます。
その人がすることが気になるようになってきます。
言葉の数は少ないですが、その中でも母親からの独特のことばの伝承も含まれています。
方言も母親独特の語感も、母親だけの口癖や感覚もそのまま伝承されます。
外部からの直接的な情報も増えてきますが、母親との確認によっての習得はそのままです。
一人ひとりの母語はきわめて個性に富んでいるということができるでしょう。
このようにして4歳くらいで基本的な母語の習得ができます。
その後は、語彙とそこに含まれる感性を吸収しながら、母語による経験を積み重ねていきます。
見てきたように直接、間接を問わず、ほとんどの言葉は母親を経由して伝わります。
どんなに周りが教え込もうとしても無理なのです。
すべて母親というフィルターであり媒体が必要なのです。
母語が母語たる所以です。
幼児期の時の母親はやることがたくさんあります。
初めての子どもであれば、分からないことだらけです。
人は母性によって形作られます。
周りの者が直接子供の世話をするよりも、母親が少しでも子供と一緒にいることができるようにしてあげることが一番のようです。
父親の直接の出番は遥か後です。
幼児期は、母親の作業を分担してあげることが一番の家庭サービスのようですね。
母語はまだまだ分からないことがたくさんあります。
脳も一緒ですね。
でも、人が生きていくためにとても大切なことであることは分かってきました。
幼児を持っているご家庭に、お孫さんのいるご家庭に教えてあげてくださいね。