2013年10月26日土曜日

頭に入りやすい、間と言葉

私の尊敬する日本語使いに井上ひさし先生がいます。

井上先生は学生時代に、大江健三郎さんの作品に出会ったことで小説家への道をあきらめまて、

劇作家へと転身しました。

そのことによって、より深く日本語とかかわるようになったのですから、何が幸いするのかわからな

いものです。
 



井上先生は、脚本を書くことによって文字だけで表現していた作品から抜け出し、話し言葉として

日本語を表現することもしなければならなくなりました。

小説とは異なる一番の点は、目の前に伝えるべき相手がいて反応していることです。

会話という言葉のやり取りにはなっていなくとも、そこには間違いなく双方向のコミュニケーションが

存在しています。


同じセリフであっても、その日の役者の体調や劇場の空調によっても観客への伝わり方は微妙に

異なります。

観客も一人ひとり言葉に対する感覚が違った人が来ています。

何百人という観客がいても、一人ひとりの受け止め方はすべて異なります。


劇場で観客席が見渡せる場所から観客の反応を見ていると、少し気をつけてさえいれば面白いよ

うに受け止め方がわかるそうです。

同じ笑いにしても、瞬時に広がる笑いもあれば、一瞬の間があったあとでドッと湧き起る笑いもあり

ます。

この一瞬の間をして、頭が理解している時間ととらえることができるそうです。


同じ内容にしても、人によって笑いの起こるタイミングが異なります。

普段よく使っている言葉による語呂合わせなどは、すぐさま反応が起きます。

ここで遅れる人は、その言葉自体になじみが薄い場合がおおく、言葉そのものの理解のための時

間が必要となります。

また、言葉そのものが理解できない場合は、例のポカーンとした反応になります。


言葉によっては、聞き取りにくい音があります。

特に母音の「う」を伴う音は、伝わりにくい音となっています。

聞き取りにくい音が入ってくると、頭の中で次のような働きが行われます。


前後の音を確認したうえで、対象となる聞き取りにくかった音を推定します。

そして、その音のつながりが意味のある言葉や聞いたことのある言葉になるかどうかの検証をしま

す。

ここで言う意味のある言葉は自分の持っている言葉ですですので、その言葉自身を知らなけれ

ば、理解できないままとなります。


一本調子のリズムでセリフが淡々と進んで行ってしまっては、笑いの場合も、聞き取りにくい言葉

の場合も、その活動がおさまるまでは次の言葉を捕えることが難しくなってしまいます。

すると、観客の間では聞き取れないことが増えてきて、連続的な受け取りに穴が開き始めます。

こんな穴が何回もあると、集中ができなくなって面白くなくなってしまいます。


そのために一番大切なのが間です。

頭を使って理解している時間を、間として用意して邪魔をしないことです。

脚本で設定できる間もあります。

笑いと取るところだったり、余韻を持たせるところや少し難しい展開をした後などは、脚本上での間

を指定したりします。

 

ところが、その日の顧客の特性による反応については役者が感じて間を取ることしかありません。

上手い役者と下手な役者の違いは演技や発声よりも、会場の持っている反応に合わせた間が取

れるかどうかにあるようです。

テレビで見ていたのでは全く分からないことですね。

生の演劇の臨場感や醍醐味はこのあたりにあるのでしょうね。


脚本家が意識すともう一つのことが、言葉そのものです。

伝わりやすい言葉としての基本は「やまとことば」にあると、井上先生は言われていました。

「やまとことば」だけで脚本は書けません。

ましてや、現代劇では英語やアルファベットが多用されることになります。

 

それでも「やまとことば」を意識することはできます。

代やまとことば」として次のことだけ意識できれば、同じ話でもきっと伝わり易くなると思います

よ。
 

「現代やまとことば」=「ひらがなことば」+「漢字の訓読み」

英語や難しい漢字の熟語を使った時は、聞いている方は間違いなく頭の中で理解する「間」を必要

としています。

その時に「現代やまとことば」で言い換えることをやってみてください。

英語や熟語はいくら使ってもいいのです。


理解してもらうための話し方の基本は、頭が理解する「間」を設けることが一番です。

もう一つが専用用語や自分言葉などの分かりにくい言葉を使った時に、「現代やまとことば」でフォ

ローすることです。

それだけで、あなたの話しはとても分かりやすいものになるはずです。