2013年10月25日金曜日

それって誰が言ったの?

久しぶりに日本語の特徴の一つに触れてみたいと思います。

それは、通常の文であれば結論が一番最後に来ることです。

結論ですから、動詞ですね。

英語と比較してみるとよくわかるのではないでしょうか。


英語の語順は、通常の文においては、主語・動詞・目的語となり、誰がどうしたといのが一番最初に来ます。

文の後半を聞き逃しても、一番肝心なことは話の最初だけで理解することができます。



それに対して日本語の場合はどうでしょうか。

通常の文であれば主語が一番初めに来ることが多いですが、これも日本語の特徴の一つとして、主語が省略されることが頻繁にあります。

さらに、通常の文であればどんなに長い文であっても、動詞が一番最後に来ることになります。

最後までしっかり聞かないと、肝心な結論がわかりません。

豊富な表現力を持つ日本語は修飾語の多さもあって、その語順の特徴によって「誰がどうした」がわかりにくい構図になっているのです。


この特徴を上手に使っている人がいます。

政治家の演説や答弁にその特徴が出ていると思います。

「その件に関しては、関係各所と綿密な連絡を取った上で、火急的速やかに対策委員会を設置して対応することを検討するように・・・」

いかにも具体的な行動をすぐにでも起こしそうな言葉が並んでいますが、「誰が」がない上に「どうする」もよくわかりません。


やるんだかやらないんだかもわかりませんし、何を検討するんだかどうかもわかりません。

結果として「誰が何を検討するのかしないのか」さっぱりわからない内容になっています。

こんな答弁が出てくると、質問している側も話が全部終わらないうちに「やるのか、やらないのかはっきりしろ」とやり返すものですから、ますますわからなくなってきます。


発言の多い人気政治家でも、揚げ足を取られることがほとんどない人がいます。

そういう人の話は、話しの途中での固有名詞や形容詞は、みんなが聞きたい欲しがっている言葉がポンポン出てきます。

ところが、「誰がどうする」については、すでに世の中に知れ渡っていることについてしか明言しません。



それ以外のことについては、見事に断定表現を避けて、言質を取られることをさせません。

話しの最後の動詞を注目しているとよくわかります。

批判をする場合でも「こんなことを言っている人もいるようです。」や「こんなことを言うと困る人がいるかもしれません」など責任回避のための表現力は天才的とも言えます。 


反対に発言爆弾みたいな人もいますね。

話し全体としてはとてもいいことを自分の意見として言っているのですが、その一部を切り取ってしまうと揚げ足を取る格好のネタになってしまうことがあります。

しかも、報道は面白おかしく視聴率や部数を稼ぐためのネタとしてしか扱いませんので、話の内容の全文を掲載するとこはほとんどありません。

揚げ足を取った根拠となる部分しか掲載しませんし、場合によっては誇張される場合すらあります。


聞いている人が欲しがっている言葉を美辞麗句で飾って何度も聞かせ、結論は断定を避けて自身に責任がかからないようにまとめるができるのも日本語の特徴です。

この手の話しの特徴として、一文が長いことが挙げられます。

「誰がどうする」についてを避けたいわけですから、一文を長くして修飾語を増やした方がボカすことがしやすくなるからです。

本当にこの種のテクニックの上手い人は、すでに公開されている事実を断定的に表現することと組み合わせて行いますので、ボヤッと聞いているとすっかり騙されてしまいます。


私たちが実際に発言する場面においては正反対で、聞き手に正確に理解してもらうことが目的となりますので「誰がどうした」を分り易く伝えることが大切になります。

時には英語の語順を借りてくるのもいいことだと思います。

「彼はこういうことを提案してくれたのです。その内容は・・・」的な使い方ですね。


特にはっきりさせておいたほうがいいことがあります。

今話している内容が、事実なのか、誰かの意見なのか、自分の意見なのか、ということです。

興味をひかれる言葉が続いた後で、「ということをどこかで読んだことがあります。」と終わられたら、ガクッときてしまします。

期待していたのは「ということが一番大事なのです、どうですか。」的な結論です。


一番大切なことは自分の意見です。

「と思うんですけど・・・」と終わると、明らかに自信がないのが丸分かりです。

自分の意見ですから自信を持って発してしまえばいいのです。

「その件についての私の意見はこうです。」と始めてみませんか。

意外と、自信や根拠がなくても通ってしまうことがありますよ。