自分自身がここ数カ月間、特に意識してきたことがあります。
タイミングとしてちょうどいくつか重なったこともありました。
周りに事業をしている人が増えてきているからかもしれません。
とにかくアウトプットの大切さを撃ち込まれてきました。
一気に噴出させることの大切さも撃ち込まれてきました。
アウトプットに集中するために、余分なインプットはすべて遮断したほうがいいとのアドバイスにも納得して、新聞を止め、ビジネス書を読むことを止め、テレビを見ることを止めてみました。
アウトプットをするためにはそのためのメディアが必要です。
個人でメディアを持つことは大変なことだと思っていた時に、SNSとブログについて教えてくれたのたのがソーシャルおじさんズ主宰の徳本昌大さんです。
この時代には、個人としてのアウトプットのメディアを持つことが比較的簡単にできることがわかりました。
そしてまた、発信していく内容についてのアドバイスをくれたのが、SNSでつながってリアルで友達になった仲間でした。
まさか、日本語についてのブログがこれほど続けられとは想像できませんでしたし、専門性が持てるとも思っていませんでした。
今では、いろいろな見方から日本語について発信出来るようになりました。
さらには、このことから事業を生むことになるとは思ってもいませんでした。
発信を続けていると足りないインプットは、自然と必要なタイミングで集まってくることに驚いています。
理由はわかりませんが、本当に必要で苦しむ前に何故か現れてきます。
不思議なことです。
アウトプットの目的についても考えるようになりました。
人によっていろいろな目的があると思います。
アウトプットの方法についても考えてみました。
これもいろいろな方法があります。
一番身近なのは会話です。
立派なアウトプットの方法です。
だだ、アウトプットであることを自身が意識してしないことが多いと思います。
アウトプットは言葉で行われます。
会話にしても、文字にしても言葉で行われます。
かつて見てきたように、人は欲求をかなえたいと思うときに言葉を発します。
したがってアウトプットは、自分がかなえたいと思っている欲求を抱えたときに発信されるものと言えます。
常に同じ欲求とは限りません。
時には、ただ発信してみたいときもあるでしょうし、特定の相手に特定の内容を伝えたいときもあるでしょう。
また、自分の発信したい欲求だけでなく、伝えた相手に何らかの行動を期待することも多いはずです。
実は、発信するだけでは欲求が満たされないことがわかりました。
発信する欲求は、受け取った相手がしてくれる行動があって初めて満たされるものであって、人にはただ発信することだけの欲求は存在しないことがわかりました。
発信していることを認めてもらいたいのか、発信内容を広めてもらいたいのか、共感してほしいのか、買ってほしいのか、受け取った人に何らかの行動を求めるものです。
それを求めてアウトプットをしているのです。
お礼の手紙一つにしてもそうです。
相手に、自分が感謝していることをわかってもらうために発信しているものです。
人によっては求める行動を素直に表現している人もいます。
直接的な表現はない場合もたくさんあります。
素晴らしい知恵を授けてくれるアウトプットもありますが、発信者はそれによってどうして欲しいのでしょう。
皆に知ってほしいのでしょうか、自分が知っていることをわかってほしいのでしょうか、知っている自分を宣伝してほしいのでしょうか。
営業用のホームページを作成していて思いました。
誰に何を売る内容なのかがさっぱりわからないものが多すぎて、ほとんどのページが参考になりませんでした。
問い合わせやご相談ばかりの受付で、注文や見積もりができないものがあまりに多いです。
B to B ばかりかと思っていたらそうでもないようなところもたくさんありました。
まずは、ファンつくりなのかとも思いましたが、イメージだけで本来の目的が表現されていないと、どこかで躓くことになりますね。
後になればなるほど、期待が膨らむ分分だけ、そのギャップは大きなものとなりますね。
アウトプットの際には体裁よりも、何のためのアウトプットかをはっきりさせた方がいいようですね。
そこで受ける批判があったとしても、直せばいいだけのことですから。
一言付け加えてみませんか。
自分でも苦手なことですが、発信する以上は目的をかなえたいですね。
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