言語の大きな区分として、口語(話し言葉)と文語(書き言葉)があります。
口語(話し言葉)と文語(書き言葉)の違いは、読んで字のごとく口で喋る言葉と、手で文字として書く言葉の違いです。
この区分は発信するほうから見た、動作を基準とした区分ということができるでしょう。
言葉の最大の目的の一つがコミュニケーションであることを考えると、発信する側からだけの見方では片手落ちと言えるでしょう。
発信だけしている人も、受信だけしている人もいません。
私たちは、発信もするし受信もしています。
コミュニケーションが相互理解を目的としている以上、自分の発信していることがどのように伝わっているのかは知っておきたいものです。
発信するときは能動的な行為となりますので、発信することのみに注意がいってしまい、受信側がどのように受け止めているかまでは考えられません。
受信した側自身がどのように受け止めたかを発信してくれて初めてわかることが多いのではないでしょうか。
ところが実際の場面では、どのように受け止めたかを返してもらえることはほとんどありません。
では口語(話し言葉)、文語(書き言葉)は受け取る側からしたらどのように表現したらいいでしょうか。
口語は受ける側からしたら耳から入る言葉となります。
聞く言葉ですね。
文語(書き言葉)は受ける側したら目から入る言葉となります。
見る言葉ですね。つまりは文字ですね。
日本語の大きな特徴の一つがここにあります。
一般的な言語は、話す言葉に対応する文字は一種類です。
話し言葉と書き言葉が一対一で対応していますので、聞き取れれば文字で確認する必要はありません。
複数の文字種を持つ言語は、身近なところでは韓国(ハングルと漢字)くらいです。
ところが日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット、で話し言葉を文字として表すことができます。
話すために必要なのは、基本音46プラスアルファ(濁音半濁音など)です。
話すことだけを学ぶには、日本語は決して難しくありません。
むしろ易しい部類に入るでしょう。
ところが書き言葉(文字)になった途端に、世界で類を見ない難しい言語になります。
当然、音数が少ない分だけ同音異義語がたくさん生まれることになります。
人の感覚は同時に五感のうちのどれだけのものを刺激できているかによって、受ける印象と記憶への残り方が異なります。
口は味覚を感じる機関として五感の一つの感覚であると同時に、音を発する機関となっています。
そんなこともあるからでしょうか、発信することと受信することは同時にすることは苦手なようです。
耳で聞きながら同じことを発することは比較的容易にできるようですが、それぞれが別のことを同時に行うことは無理なようです。
テンポのいい会話であっても、話すことと聞くことはそのたびに切り替えのスイッチが動いている感じですね。
そうすると、相手の言っていることを聞きながら違うことを話すことは無理だと考えたほうがよさそうです。
話す言葉は、発信する方と受け取る方が違う感覚を使っています。
感覚がずれるのは仕方のないことではないでしょうか。
一方、書く言葉は実際に書くために使っている器官は手かもしれませんが、必ず視覚での確認が行なわれています。
受け取る側も同じ感覚を使って受信していますので、感覚としてのずれは基本的には起こりません。
話し言葉は、私たちが思っている以上に、伝える力としては弱いのではないのでしょうか。
というよりも、間違えやすいと言ったほうがいいのかもしれません。
日本語の場合は他の言語に比べるとさらにその傾向が強いと言えるでしょう。
言語によるコミュニケーションのうち80%は話し言葉によってなされているといわれています。
よく言われる日本語の理解しにくさは、話し言葉ではさらに強調されてしまうのでしょう。
話しっぱなしで相手の確認が取れない場合は、正しく伝わったかどうかを確認する術がありません。
一番危険な状況ですね。
大切な内容については、必ず書き言葉(文字)で伝えることを併用したほうがいいですね。
SNSの広がりや、端末の広がりによって、電話だけでの連絡や確認が一時よりも減っている感じがします。
文字でのコミュニケーションが増えている気がしています。
あらためて、文を書く力が求められているのかもしれませんね。