2013年10月2日水曜日

言語習得の段階とその環境(1)

9月26日に友人の佐藤和則氏が主催するワンコインセミナーで、「素晴らしき日本語」と題して話をさせていただきました。

私が感じていたよりも、内容もあって楽しかったと言っていただき、懇親会ではいろいろな話になりました。


その中で日本語の習得段階と学校教育の内容のずれについて感じられている方がかなりいらっしゃいました。
どこまで考察できるか自分でも試してみたくなりましたので、何回かにわたって言語習得の段階とそれぞれの段階における現状環境とあるべき環境について触れてみたいと思います。




上の図はセミナーの時にお見せしたものです。
マズローの欲求の5段階に言語の習得が関係していることを示しています。
言語の習得がなければ、欲求を実現することはもちろんのこと、表現することすらできません。

更に帰属の欲求を越えて承認の欲求を求めるようになると、それまでこもって守っていただけの環境から自分の意思を外に対して表明することが必要になってきます。

言語の習得は脳の発達と密接に関連しています。
また、幼児期は子供の保育とも密接に関連しています。

そして、それぞの発達段階においては様々な面から考察された、最適な時期が存在します。
このことを簡単に示したものが以下です。


それぞれの専門性の立場から正確に言うと、若干のずれはあるようですが、大筋でこのような5歳刻みで理解しておけばいいようです。

まずは母語の習得から見てみましょう。
この辺は人によってかなり様々な意見があります。

生まれる前の母親のお腹にいるときから、言語を学んでいるという説もありますが、一般的には脳が容積的にも一番発達する2歳頃から4歳頃が母語習得の中心になると思われます。

母語は言語の基礎中の基礎であり、将来にわたりその個人の人間形成の基礎をつくるものです。

環境的に気をつけるべきところは、母親の精神状態です。
この時期の子供には母親の接触がすべてです。
他の者の接触は、直接的には子供の成長に影響することはありません。

父親がどんなに頑張って子供に接しても、ほとんど効果はないのです。

周りの人間は母親のサポートに徹し、母親が子供に触れる時間の確保と、その時の精神状態の安定を確保することをしなければなりません。



そうはいっても、母親を起点として周りの様子は、子供は常にインプットしています。
母親が接している人たちとの会話は子供に影響を与えます。

祖父母や近所の人たちの会話や掛けられれる声は、記憶には残ることは少ないですが、幅広い言語環境の中で暮らすことが何らかのいい影響を与えていると考えられています。


この時期にやってはいけないことがあります。

子供は生きていくための最初の段階として、言語(母語)を最優先で学習するようにできています。
そして自分の欲求に対して答えるものしか身に着かないようにできているようです。

無理に詰め込んだものは、単なる記憶としての保存はされるかもしれませんがそれだけです。
言語=思考のために使われることはありません。

これから先の言語を学ぶための基本としての母語習得の邪魔をしてはいけないのです。
欲求がないときに無理に詰め込むと、肝心の母語の習得に影響をおよぼし日本語の習得に欠陥が起こることがあります。

ですから、余計な幼児教育は一切やってはいけません。

世の中は幼児教育という名のもとにいろいろなものを商売にしようとします。
だまされてはいけません。
幼児に教育をしてはいけないのです。

特にこの時期に、覚えさせる目的で他の言語に触れさせることは避けなければいけません。

幼児期の英才教育は子供の人間形成において、弊害しかないことはいろいろな研究の結果分かってきました。
今では広く知れ渡っており、幼児の英才教育について聞くことはほとんどなくなりました。


幼児は保育をする対象です。
教育は教え込むことです、保育は環境を整えて待つことです。

幼児期にやらなければけないことは母語の習得だけです。
母語の習得は、幼児は放っておいてもやることです。

手助けできる環境は、より多くの日本語に触れさせることと、母親との言葉のコミュニケーションを楽しむことです。
教えることではありません。

そして、自然に学んでくるのを待つことです。



これができない親がとても多いです。
どうしても手を掛けてしまいます。

保育園や幼稚園においても教育的な物がたくさんあります。
何かを教育されている子がいると、自分の子が遅れていると感違いしてしまいます。
周りには教育があふれています。

この環境の中で、保育を実践して子供の学びを待つことは、よほどしっかりとした考え方を持っていないと難しいですね。


2番目以降の子供の方が、自立する能力が高いことがわかっています。
身近に手本としての兄姉がいることもありますが、上の子に比べて親が手をかけすぎないことがその理由として挙げられています。

子供が自立する能力は母語習得の段階から養われていると考えられています。


それでも子供はそれぞれの環境の中で母語を身につけていきます。
母親の言語が皆異なるように、子供の母語も一人ずつすべて異なります。
方言や言い回しを含めて、ここで身につけた母語がその子の生涯の言語の基礎になります。


母語は一つしか選べません。
海外に駐在していて、現地語と日本語の2つに子供が接している場合は、この幼児期の間に親がひとつに決めてそれに応じた環境を整える必要があります。

この時期を逃がすと、どちらを選んでもまともな言語が身に着かない可能性が高くなります。
海外生活で子供に日本語を母語として選んだんだけれど、日本の小学校に入ったらついていけなかったという話はあちこちで起きています。


母語の習得時期の様子は、日本語で言えばひらがなを学ぶ前の話し言葉だけの世界です。
ちょうど文字の無かったころの「やまとこば」で会話をしていたころと同じようなことかもしれないですね。
そういえば、赤ちゃん言葉は古代「やまとことば」と共通することが多いですね。