2013年9月27日金曜日

ひらがな化の効果

漢字をたくさん使って漢文の様に書いたほうがふさわしい文書と、ひらがなをうまく使いこんだほう

がふさわしい文書があります。

ここでふさわしいと言っているのは、文書本来の目的に沿った見せ方ができるという意味合いで言

っています。

たとえば、漢文の様に書いたほうがふさわしい文書は、公的な契約書や申請書・登録書の類です

ね。

役所の公式文書もこれに当たるでしょう。

法律の条文もそうでしょうね。


漢字をたくさん使ったほうがふさわしい文書は、特殊な世界や業界における文書に向いているよう

ですね。

その場面では常用漢字はもちろんですが旧漢字等もふくめて、漢字にできるものはすべて漢字に

する姿勢が必要になります。

文書の公的な度合いが低くなるほど、漢字の縛りがなくなっていく感じですね。


むかしから、公的な記録や文書では漢文が尊ばれたのにはそれなりの訳があります。

文化や法律を漢語で導入してきたので、それらを運用するには当然のごとく漢語が用いられたの

が一つです。

また、漢字は一文字ずつに意味がある表意文字ですので、記録として残すには適したものです。

更には、漢字は一文字だと抽象的な意味であっても、二字、三字の熟語になってくるとぐっと具体

性をましてきて、正確な表現をするのに適しています。

ひらがなに比べると同じことを表現するのに、より具体的な正確な表現をより少ない文字数で表す

ことができます。



したがって、公的要素が強い文書に求められる、正確性、簡潔性を表すのに適した文字と言うこと

ができます。

ところが私たちの普段の生活においては、どこまで公的な要素が求められているでしょうか。

会社との契約書にしても、個人と私企業の契約であり、一般個人としての分り易さの方が優先しま

す。

一昔前は、個人との契約においても公的な契約書が援用されて、漢字だらけのわかりにくいもの

が多かったですが、今時はそんなものを使ったら企業の顧客対応レベルが知れてしまいます。

私企業において働いている限りは、たとえ企業活動であっても、公的要素として求められることより

も分り易さが求められていることが現実です。

漢字の文書を使いたがる企業は、公的な面を押しつけて格好をつけたいだけであり顧客への分り

易さを考慮していないと言えるでしょう。

つまりは、ひらがなをうまく使い込んだ分り易い文書が適していることになります。


企業においてすらそうですので、個人としての普段の生活においては分り易さが最優先します。

誰に対しても一番わかりやすい表現である、ひらがなを使い込んだ表現が適していることになりま

す。

今まで受けてきた教育においては、すべての場面において漢字の方がひらがなの上に位置してお

り、漢字が使えるのにひらがなを使うことはほとんどありませんでした。

作家においてすら、ひらがなを使いこなせない語感の悪い作家がたくさんいます。


実は、ひらがなで表現することは思っている以上に難しいことです。

感じで表現されたものに訓読みがあれば使えますが、ひらがなとしてはもっとふさわしい表現があ

ることが多いのです。

漢字によっては熟語になることによって、訓読みの置き換えがきかないものもたくさんあります。

漢字を含んで書かれた文書をきっちり理解したうえで、ひらがな化しないといけないのです。

ひらがなにすることによって分り易くするのが目的ですから、正確な理解に基づいてひらがな表現

をしなければいけません。

中途半端な理解やよくわかっていないものは、ひらがなでの説明ができないのです。

ダラダラ長くなるだけで、的確なひらがな表現ができなくなります。



ひらがなで分り易く表現することは、言いたいこと表現したいことを本当に理解していないとできな

いことなのです。

むかしから言いますよね、難しいことを難しく説明するのは普通の人ならできます。

易しいことを難しく説明するのは、勉強の仕方を間違えた人です。

難しいことを分り易く説明することこそ、勉強した人としてなすべきことですね。


言葉は伝えて理解してもらうために存在しています。

そのために思考は言葉でなされています。

思考を説明するのは大変難しいことです。

これを分り易く説明できることは、簡潔で誰でもが納得できる思考になっているということです。

何段階にも分けてもっとわかりやすい表現、さらに分り易い表現としてのひらがな表現を楽しんで

みませんか。







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