2013年9月26日木曜日

ことばと習慣化

習慣化がキーワードになっています。

いいと思われることを継続して行っていくことですね。


ところがどうやら人間そのものが、同じことをやり続けることが苦手にできているようです。

たぶん進化に関係があるのではないでしょうか。
 

同じことをやり続けることが得意で、好きになってしまうと、変化に対応できにくくなるからだと思わ

れます。

ですから、人はもともと飽きっぽくて好奇心旺盛な生き物だと思ったほうがよさそうです。


保守と革新という言葉があります。

無条件でどちらが好きかと聞くと、ほとんどの場合は革新を選びます。

言葉の感覚だけで選択すると、革新を選ぶことが多くなります。

ところがこれに体制という言葉を付けると、途端に保守体制の選択が増えます。

体制という言葉が着いたことによって、国家的な、社会的な、経済的な現実の状況を思い浮かべる

からです。

保守というのは現在の状況を保ち守ることになります。

革新は新しいものを作り上げることになります。


様々な状況の変化が多くなればなるほど、保守が選択されることが増えます。

革新という言葉には現状を壊すという意味が含まれます。

人はこれを一番恐れるのです。

保守を選択することは、最低でも現状が維持されることだと勘違いするのです。

変化が多ければ多いほど、それによる自分へのマイナスの影響を心配します。

保守とはどんなに都合の悪い変化が起きても、自分への影響が一番少ないことだと勘違いするの

です。

保守の体制下における自分への直接的な影響がある場合であっても、社会全体がその影響を受

けるために、相対的な自分のポジションは社会全体に対しては変わってないと思うのです。



人は何か新しいことをする場合には、どこかで保険を求めます。

その新しいことが失敗した場合に、戻ってこれる場所を確保しておこうとします。

もちろん生活をしていくための防衛としてはとても大切なことですが、今までの生活の延長線上で

は、戻ってこれる場所はおろか、今の場所すら維持することができなくなってきています。


そのために、今、新たなる習慣化が求められているのです。

今までの習慣の延長では寄って立つ基盤の変化に対応できなくなるのです。

一番顕著な例が経済的な問題でしょう。


これからの変化は読めないリスクがたくさん出てくると思われます。

原発問題のように、リスクが表面化しているものもあるでしょう。

質と量ともに今までの生活を続けていけることが難しくなっているのです。

自らがリスクを想定して、今までの習慣を改め、新しい生活基盤を作っていかなければならないの

です。


今、新しい習慣化をしようとしている人たちは、このことがわかっている人たちです。

ですから、今の基盤が完全に崩れ去ってしまう前に、新しい基盤を持とうとしているのです。

私のように、のんびり構えてたら先に基盤が崩れてしましい、慌てて新しいものを作らないといけな

い人もいるでしょう。


やらなければいけないことは、皆わかっているのです。

継続してやっていけないだけだと思います。

そのための習慣化です。


習慣化のためのキーワードは「快」です。

脳の判断基準が「快か不快か」だからです。

無理やりにポジティブシンキングをしてもだめです。

無理にやっていることだけで脳は「不快」と判断しますので、長続きしません。


「快」を感じるために必要なことは「たのしさ」です。

習慣化したいことの中に必ず「たのしさ」を見つけましょう。

そうすれば脳が「快」を感じて、行動することができます。


「不快」は、経験や知識によって「快」に変えることができます。

それまで「不快」であったことも、五感によって「たのしさ」を感じることができれば「快」に変わるので

す。

それは気づきや学びであることもあるし、美味しさや面白さであることもあります。

新しい刺激を与えれば「快」の要素を増やすことができるのです。



私がブログを書き始めた時は、習慣化しなければという思いだけでスタートしました。

どちらかと言えば「快」の要素は、文を書いてみたいという程度だったと思います。

見てくれる人もいなければ、当然反応もありません。

すぐにネタが尽きます。

止めるための要素ばかりが増えていきました。


30本も書いたころでしょうか、ネタが尽きてしまった時に、今日1本書けたら止めようと決めました。

その代り、必死でネタを探しながら3時間以上かけて書き上げました。

ネタ探しだけで2時間以上かかったと思います。


公開するための修正をしてる時に、書いてるときは苦しいだけだったのに、よく読むと今までの観

点とは違った新しい切り口であることに気づきました。

途端に関連したテーマで4本分くらいのネタにつながりました。


ネタに困って苦しんでひねり出したテーマは、結果として今まで考えもつなかった視点であり、ブロ

グにとどまらず新しいビジネスアイデアにつながるものでした。

これが「快」になりました。


持っているものが全部無くなった時に、のた打ち回ってひねり出すことが「たのしく」なりました。

時々は、今考えられるネタをすべて書き出してしまって、わざと空っぽにしてひねり出すこともして

います。

けっこう癖になりますよ。


一度は「快」を感じて行動できたことも、最初に見たように人は飽きやすくできています。

ここでこそ言葉を変えてみることです。

同じことを言い換えてみるのです。


私の場合は、ブログで使ったキーワードを置き換えてみています。

漢字同士で違うものに置き換えるとどうなるか、ひらがなに置き換えるとどうなるか、カナカナで

書いてみるとどんな感じになるのか。

時には漢字のキーワードの一部だけひらがなにしてみたり、あえて当て字や造語を作ってみたりし

てみます。


これがどうやら、同じことを目先を変えて継続することにつながっているようです。

思わぬ言葉に出会ったり、笑える当て字ができたり、「たのしむ」要素を入れることができていると

思います。

どうせすぐに飽きるのですから、「たのしむ」要素はささやかなほどいいと思います。

「たのしみ」も同じことをやっていれば飽きてしまい、「快」を感じなくなります。

言葉の置き換えは、やってみるとささやかな「たのしみ」をいくつか生んでくれるのではないかと思

っています。

是非、お試しください。