2013年9月25日水曜日

待てない人たち

幼児保育は子供が様々ことを習得することを待つことです、決して教え込む幼児教育をしてはいけ

ません。

先日の幼児共育関連のイベントで学んだことです。




もともと人は学ぶこと、努力することを厭わないようにできているようです。

特に幼児期は急激な脳の発達に伴って、様々なことを習得する時期となります。

情報システム的に表現するとOSをインストールすることに該当するのではないでしょうか。

そこでOSが書かれている言語が母語だということができます。

 


したがって、OSをインストールしている途中でそのインストールを中断し、アプリケーションをインス

トールしても役に立たないだけではなく、OSそのものが機能しなくなってしまいます。

特に、普段の生活している環境に標準的に存在するOSと異なるOSを選択する場合は、その言語

をサポートできる環境を特別に作ることになります。

たとえば、海外の英語環境にいる中で、日本語を母語として選択するような場合ですね。

システムの場合は削除や再インストールが可能ですが、人間の場合はOSの選択は遅くとも4歳く

らいまでしなければなりません。



親ができるのはOSの言語を選ぶことと、その言語によるサポートの環境をつくることです。

以降は子供が勝手にインストールを始めます。

個人差はありますが5歳頃までかかって基本OSがインストールされます。

その過程でOSの指示によって、きわめて基本的な機能のアプリケーションが追加されていきま

す。

そして、小学校に入学するころから学習するための言語の習得が始まるのです。


つまり、この時期に幼児教育として何かを教え込むことは、OSのインストールを中断して、そのOS

以外の何かを保存することになります。

この時期の子供の脳は、4歳くらいまでで容積が約4倍になるくらいですから、容量がたくさんあり

ます。

何かを教え込まれればみごとに保存してしまいます。

それはおうむ返しと同じことで、単に保存されているだけです。

OSもアプリケーションもないわけですから、うまく取り出せてもそのまま再現できればいい方です。

保存されているものを使って何かをするという機能はありません。

その分だけOSのインストールが遮断されていますので、どんな弊害が出るかわかりません。

幼児英才教育の弊害は、今や広く知れ渡っていることです。

 

幼児教育はしてはいけないのです。

OSのインストールが完了するまで、待たなければいけないのです。

できることは基本言語のサポートとともに、多様性の環境をつくることです。

幼児期の体験は物心つくころには、ほとんど記憶にありません。

それは基本OSの中に取り込まれていくものです。

生活環境の多様性、接触する世代の多様性、触れる文化の多様性、あらゆるものの多様性の経

験が可能性の大きなOSを作り上げるのです。


待てない親がほとんどです。

幼児教育の情報があふれていて、親に襲い掛かります。

多様性の環境をつくる時間がない親がほとんどです。

しかし、この大切な期間はこの時しかないのです。

生まれてから保育園、幼稚園までの間で可能性の範囲が決まってしまうのです。

この間は持てる力のすべてを動員して、協力してもらえるすべてを動員して環境つくりをするべきで

す。


直接子共に影響を与えるのは、圧倒的に母親です。

母親が常に穏やかに平常心で子供に接することができるようにするのも大事な環境です。

幼児期の保育に直接的な父親の出番はありません。

サポートあるのみです。

父親の直接的な出番は5歳くらいから小学生の間です。

ここも同じで、環境は作りながらどれだけ待つことができるかが大きな要素になってきます。



私も待てませんでした。

ついつい先のことを学ぶことを押し付けたり、理想を押し付けたりしていました。

結果として、子供たちの可能性を狭めたことは、今はよくわかります。


待つことの中に「たのしみ」を発見することが大切ですね。

「たのしみ」が見つかると、脳が快を感じて行動できるようになります。

待つことが大切なんだと知っているだけでも、普段の行動が変わってくると思います。


これってよく考えてみると、幼児の保育に限った話ではなさそうですね。

そんなことから思いついたことは、改めてブログにしてみようと思います。

一人でも多くに人に知ってもらうためにも、しっかり発信を続けていきたいと思います。