2013年9月24日火曜日

幼児期の言語習得について

昨日、「素敵な幼児共育コレクション」に参加してきました。

6歳までの幼児を中心にした各種の教育方法や事業者の紹介などがあり、母語を習得する期間に
当たる子供たちのことについて参考になりました。



一番参考になったのは、気づきのディスカッションの時に民間学童保育の施設の開設を事業として
いる方の「保育と教育の違い」についてでした。

特に幼児については保育と教育を間違うと取り返しのつかないことがあると、説明されて思わず納
得してしまいました。


幼児教育という言葉を使ってしまうと、何らかの形で幼児を教育しなければいけないと考えてしまう
のだそうです。

すると、教育的なことをしていない親は不安になってしまい、様々な幼児教育という名の事業にお
金を出してしまうことになってしまいます。

何かを与えなければいけない、何かをやらせなければいけないと考えてしまいがちだそうです。

まじめに考える母親ほど、この「幼児教育」という言葉にはまってしまう様です。



「幼児保育」の基本は待つことだそうです。

特に6歳くらいまでは、もともといろんなものを大量に吸収して勝手に育っていく期間だそうです。

子供の変化に目を凝らしながら、子供と一緒に楽しむことが大切だということです。

褒めるのではなく、やったことを認めるという姿勢が大切だということです。

そして、腰を据えて子供の成長をじっくりと待つことが理想だそうです。


しかし、待ちきれないで幼児教育に手を出してしまう場合がほとんどで、自然な成長の妨げになっ
ていることもあるようです。

幼児英才教育の弊害はすべての方が同じ意見で、絶対が着くほどに完全否定でした。

何人かの人は幼児英才教育の結果の悲劇を直接見てこられていました。


幼児教育という言葉は、事業者が親を「何かをさせなければいけない」と煽って不安にさせて金を
巻き上げるための言葉だそうです。

教育という言葉の持つ響きには、確かにそのような感覚があると思います。

幼児はすべての活動が、これから生きていくための学びにつながっているそうです。


環境的に現代よりも昔の方がよかったことがあります。

祖父母の身近な存在と、地域全体での保育の環境です。

どの幼児教育の事業者も口をそろえて強調していたことは、異年齢との接触についてです。

判断力がついていない、興味だけしかないような幼児期にも異年齢との接触が、子供の成長にと
ても大切な要素であることが指摘されていました。

幼児のことですから、物心ついたときには記憶にないことがほとんどです。

それでも、幅広い異年齢者に触れてきた子供は、そうでない子供に比べると明らかに心の成長度
合いが異なるそうです。



幼児期における言葉の習得については、特に触れられてはいませんでしたが、母語に対して理解
のある方は何人かおられました。

それでも母語という言葉自体が、まだまだ一般的にはなっていないんですね。

母語の話しは皆さんが興味をもって聞いていただけました。

あまりにも当たり前のものになってしまっていて、注意を向けたことがなかったという方がほとんど
です。

幼児期の言語教育という言葉を止めて、幼児期の言語習得についてと言い換えていくようにして、
母語についての発信をしていきたいと思います。