2013年9月23日月曜日

楽と「たのしみ」

人はどうやら楽な方を選択するようにできているようです。

よほど明確な目標が描かれていない限り、なかなか楽でない方を選ぶことはできません。

楽というのは、いわゆる「らく」としての手間のからない、負担の少ないという意味もありますが、「た

のしい」としての心躍る、ウキウキするようなという意味もあります。

ここでは使い分けとして、「らく」と「たのしい」を「楽」と「たのしい」に分けてみたいと思います。



「楽」には反対語として「厳しい」という言葉が当てはまると思われます。

あまり、いい意味では使われませんね。

手を抜くという言い方が一番近いかもしれません。

ところが「たのしい」となると、けっして「楽」だけはないですね。

厳しいことであってもその厳しさの先にある結果を考えると、その厳しさを越えることが「たのしい」

ことになることもあります。

「たのしい」の反対語としては「つまらない」ということになるのでしょうね。


つまりは、目的のない状態での、目の前の選択肢のうちの手間のかからないほうを選ぶことが

「楽」ですね。

目的があってその目的のために、目の前の選択においてはより手間のかかる厳しい方を選択する

ことは「たのしい」要素がないと、なかなかできることではないですね。

ましてや、目的の達成までに多くの選択をしながら成し遂げて行かければならない場合は、「たの

しい」要素がないと続かないです。



このことを、脳科学の面からとらえると、脳が快と感じるか、不快と感じるかが人としての判断基準

になるということだそうです。

生命や安全については本能的に、快と感じるほうを選択していきます。

これは持って生まれた快の感覚と言えますが、経験や知識によって快の感覚が作られていくもの

も多くあります。

子供のころは苦手(不快)だった塩辛が、大人になって酒を飲む様になったら大好き(快)になった

という様なものですね。


マズローの欲求の五段階説は、ビジネス上もいたるところで引用されます。

生存の欲求から順番にクリアしていって、最後に至るる欲求が自己実現の欲求だと思っている人

が多いようです。

これらの欲求は、常に同時に存在しているのです。

その時々で、どの欲求に快を感じるかによって選択する基準が異なるだけです。


生活も苦しく経済的に成り立っていないのに、自己実現の欲求を優先させる選択もあるのです。

身体健康に害があり病気の進行を促す可能性があるのに、自己認知の欲求を選択することもある

のです。

それらは、選択した結果得られるものがより快を感じられるから選択するのです。

結果として、選択が正しいかどうかは関係ありません。

そういうものなのです。



より高次の目的を持たない限り、目の前の選択は「楽」なほうを選ぶのが自然の流れです。

それが脳には快として感じられることなのです。

あえて厳しい選択をするために無理に「たのしい」と思い込もうとするやり方もあるようですが、今

度はそのこと自体が不快となってしまうため、ストレスをためることとなります。


不快から快への変換は、経験や知識によって日々行われています。

厳しい選択をせざるを得ない場合もありますが、その時は「たのしむ」要素を見つけると脳が快を

感じるようになるので、より積極的に取り組める様になるようです。

小さな「たのしみ」を見つけることが上手な人は、コツコツと継続することが上手な人が多いです

ね。

やがて習慣化してしまうと、今度はそれをやらないことが不快になりますので、より定着していきま

す。

どうやら習慣化の秘訣は、小さな「たのしみ」を見つけられるかどうかにあるようですね。

不快を感じながら続けていくことは、何のメリットもありません。

どこかで拒否反応が出てきます。

脳は不快なことを続けることを極端に嫌います。

不快を感じながら続けていることは習慣化できません。

どこかに「たのしみ」を見出して、脳に快を感じさせることができると意外に簡単に習慣化できてし

まうようです。