ソーシャルおじさんズというコミュニティがあります。
そこの代表をされている徳本昌大さんがブログで「ビジョナリーワード」について書かれています。
ご参照ください。 「未来は言葉でつくられる」の書評 ビジョナリーワードを個人でも作ろう。
「ビジョナリーワード」未来を変えるパワーを持った言葉です。
スティーブ・ジョブズの言葉がよく例に挙げられますね。
これって日本語の持っている「言霊(ことだま)」に似ていませんか?
魂を込めてその言葉を使っていくと、その通りのことが実現してくるというやつですね。
言葉に宿る力と自分の思いが一緒になった時に、周りを変えるパワーを持つことがあります。
自分の発信する言葉が、世界を変える可能性があると考えると楽しくなりませんか。
実は、私たちは日々このことを行っているのです。
気づいていないだけなのです。
人に何かを伝えるということは、変化のきっかけを作っていることになるのです。
伝えるほうも、受け取るほうもさりげなく行っているので気づきにくいですし、そこまで考えてなんかいませんよね。
アンテナを張っている人は、いろんなことに気づきがあります。
それはラジオのチューニングと同じようだと例えた人がいます。
自分の中で思考しているときはその内容について、無意識に少しずつ発信しています。
世の中にあふれている様々な情報が、発信している内容に同調すると、途端に大きな音となって飛び込んできます。
まさしくアンテナです。
思考も情報も言葉で存在しています。
意外とこのことに気づいていない人が多いです。
言葉の同調についての研究は見たことがありません。
思考は言葉によってなされます。
言葉の限界が思考の限界です。
曖昧な言葉は曖昧な思考の現れです。
その場しのぎの思考は、その場しのぎの言葉に現れます。
言葉そのものに色はありません、使う人が色を付けるのです。
言葉そのものに良いも悪いもありません、人が良い悪いの区別をするのです。
言いたいことが明確であり、そこに至る論理の過程が素直な言葉は、聞いていても読んでみてもとても心地のいいものです。
快として共感し、受け入れやすいものです。
人の判断基準は快か不快かだけです。
研究者によっては好き嫌いと言う人もいます。
不快と判断する原因はたくさんありますが、快と判断する要因は一つだけです。
自分の言葉との同調性だけです。
同じ内容でも言葉が異なれば、快とも不快ともなるのです。
特に思考に思考を重ねて辿りついた言葉は、そこまでの間で同じようなたくさんの言葉を切り捨ててきています。
自分の思考に近いことを、自分が切り捨てた言葉で伝えられることは不快以外の何物でもないのです。
ところが自分の思考に近いことについては、同調できる言葉もたくさん出てきますので、快の要素もたくさんあることになります。
思考の近い人こそ、快か不快の極端に振れることが多くなるのはこういうことからなんですね。
見てきたように、自分の思考を自分の言葉で発信しないと、変化は何も生まれません。
発信して初めてカウンターアクションが得られるわけです。
カウンターアクションが得られるまで発信し続けることも大切になりますね。
共感もあれば反感もあるでしょう。
当たり前のことです。
しっかりした言葉はしっかりした思考の裏付けがあります。
ですから人は言葉で判断するのですね。
借り物ではない、共感した言葉そのものではない、自分の言葉を発信していきたいですね。