方位を表す言葉の「東西南北」の音読みがけっこう気になっていました。
どれか一つのことについてはときどき見かけるのですが、四つすべてを一度に見ようとすると意外とありませんでした。
このたび、田井信之氏の「日本語の語源」に出会ったので紹介しておきたいと思います。
「ひがし」からいきましょう。
やまとことばの語源としては「ひ」+「がし」になりますが、やまとことばには濁音はありませんので
「ひ」+「かし」となります。
どれか一つのことについてはときどき見かけるのですが、四つすべてを一度に見ようとすると意外とありませんでした。
このたび、田井信之氏の「日本語の語源」に出会ったので紹介しておきたいと思います。
「ひがし」からいきましょう。
やまとことばの語源としては「ひ」+「がし」になりますが、やまとことばには濁音はありませんので
「ひ」+「かし」となります。
「ひ」は「日」につながる言葉(音)で、太陽の運行に関わりがあるという言葉になります。
「かし」は「むかし」という言葉(音)が短縮されてしまったものです。
口に出して「むかし」と発音すると「む」の音が口の中にこもってしまって、聞き取りにくくなります。
よほどはっきり「む」を発音しないときちんと「むかし」とは聞こえずに、「・かし」と聞こえてしまうと思います。
母音の「う」は、口の中の一番奥の方から発せられるため、「う」行の音は口から出る前に口の中でかなり音が消されてしまいます。
口の一番先から発せられる「い」の音と同じ声量で発せられても、ずっと聞き取りにくいのはそのためです。
「むかし」の「む」は迎えるの意味があります、また「かし」は「かしら」の元になったように頭という意味になります。
つまり「ひむかし」という言葉が元のやまとことばで、太陽が昇り頭が見えてきて朝を迎える(向き)という言葉になります。
これがのちに「ひがしら」となり「ひがし」となったとされています。
ちなみに、百人一首の読みで「ひんがしの、のにくれないの・・・」という歌がありますが、音としての「ひんがし」は「ひむかし」と無関係ではないと思われます。
次は「みなみ」です。
やまとことばの「みひぃなみ」の短縮されたものだとされています。
「みひぃな」+「み」となり、「みひぃな」は皆という意味になります。
「み」は見るという意味になりますので、みんなで太陽を見ることができる(向き)ということになります。
「みんなみる」が短縮されて「みなみ」となったとされています。
今度は「にし」ですね。
やまとことばでは「に」+「し」となります。
「に」は煮えるという意味になります。
「し」は大きく2つの意味がって、一つがぐっと息むという意味ともう一つが沈むという意味があります。
「にえし」というのがもとの言葉(音)であったろうと思われます。
太陽が煮え切って沈んでいく(向き)となります。
色も煮え切ったような色になりますね。
西方浄土の意とも近い感じもしますね。
最後は「きた」です。
もとのやまとことばは「きたふ」と思われます。
「き」+「たふ」です。
「き」は太陽の光のパワーのことを表しています。
「たふ」は途絶えてしまうことを表しています。
うまり、太陽の光のチカラが途絶えてしまったという意味になります。
ここで説明してきた順番は「東南西北」です。
麻雀をやる人はすぐわかると思いますが、中国語(漢語)の順番ですね。
でも、中国でも「東西南北」の順番のところもあるんですね。
ただ、全体としては自分を中心において周りの領域を分割していった考え方だと思われますね。
日本では「東西」と「南北」が分かれていたのではないかと思われます。
陽の出るほうと沈む方という捕え方と、明暗という光のあるエリアとないエリアというとらえ方があったのではないかと思われます。
「東西」の考え方と「南北」の考え方が違っていたのではないでしょうか。
「東西南北」という方位を表す言葉としての完成は明治くらいではないかと思われます。
「かし」は「むかし」という言葉(音)が短縮されてしまったものです。
口に出して「むかし」と発音すると「む」の音が口の中にこもってしまって、聞き取りにくくなります。
よほどはっきり「む」を発音しないときちんと「むかし」とは聞こえずに、「・かし」と聞こえてしまうと思います。
母音の「う」は、口の中の一番奥の方から発せられるため、「う」行の音は口から出る前に口の中でかなり音が消されてしまいます。
口の一番先から発せられる「い」の音と同じ声量で発せられても、ずっと聞き取りにくいのはそのためです。
「むかし」の「む」は迎えるの意味があります、また「かし」は「かしら」の元になったように頭という意味になります。
つまり「ひむかし」という言葉が元のやまとことばで、太陽が昇り頭が見えてきて朝を迎える(向き)という言葉になります。
これがのちに「ひがしら」となり「ひがし」となったとされています。
ちなみに、百人一首の読みで「ひんがしの、のにくれないの・・・」という歌がありますが、音としての「ひんがし」は「ひむかし」と無関係ではないと思われます。
次は「みなみ」です。
やまとことばの「みひぃなみ」の短縮されたものだとされています。
「みひぃな」+「み」となり、「みひぃな」は皆という意味になります。
「み」は見るという意味になりますので、みんなで太陽を見ることができる(向き)ということになります。
「みんなみる」が短縮されて「みなみ」となったとされています。
今度は「にし」ですね。
やまとことばでは「に」+「し」となります。
「に」は煮えるという意味になります。
「し」は大きく2つの意味がって、一つがぐっと息むという意味ともう一つが沈むという意味があります。
「にえし」というのがもとの言葉(音)であったろうと思われます。
太陽が煮え切って沈んでいく(向き)となります。
色も煮え切ったような色になりますね。
西方浄土の意とも近い感じもしますね。
最後は「きた」です。
もとのやまとことばは「きたふ」と思われます。
「き」+「たふ」です。
「き」は太陽の光のパワーのことを表しています。
「たふ」は途絶えてしまうことを表しています。
うまり、太陽の光のチカラが途絶えてしまったという意味になります。
ここで説明してきた順番は「東南西北」です。
麻雀をやる人はすぐわかると思いますが、中国語(漢語)の順番ですね。
でも、中国でも「東西南北」の順番のところもあるんですね。
ただ、全体としては自分を中心において周りの領域を分割していった考え方だと思われますね。
日本では「東西」と「南北」が分かれていたのではないかと思われます。
陽の出るほうと沈む方という捕え方と、明暗という光のあるエリアとないエリアというとらえ方があったのではないかと思われます。
「東西」の考え方と「南北」の考え方が違っていたのではないでしょうか。
「東西南北」という方位を表す言葉としての完成は明治くらいではないかと思われます。