漢語を中国から持ってきたことによって、日本に書き言葉ができてきたことはほぼ間違いのないことだと言われています。
ヨーロッパの文明を急いで取り込まなければ、列強の圧力に屈して植民地化されてしまう危機のあった明治維新では次から次へと新しい言葉が作られていきました。
漢字のもつ造語力の高い能力がそれを可能にしたのです。
その結果、古来の日本語(やまとことば:話し言葉)はひらがなとして侵略されることなく残すことができました。
この時つくられた漢字が新漢字と言われたり和製漢語と言われたりするものです。
大きくは2種類の作られ方をしました。
一つは漢字の意味を組み合わせて対象に合う意味にするために新しい組み合わせ(熟語)を作ったものがあります。
「科学」「哲学」「野球」「郵便」などです。
もう一つは今まであった漢字の組合せなのですが新たな意味を与えたものがあります。
「自由」「権利」「演説」「観念」「革命」
これは特に仏教用語などの専門語をヨーロッパの概念を表す言葉として使うように、もともとの意味を変化させていったものが多いようです。
やがて、明治以降になりますと中国も文明開化を成功させており、魯迅などの多くの留学生が日本に来ています。
彼らにとってはヨーロッパ文明に触れる一番身近な存在がの日本だったのではないでしょうか。
この時にヨーロッパの物や概念を取り込むのに一番役に立ったのが和製漢語だと思われます。
これらの言葉は見た目は同じ漢字として、今度は中国に逆輸出されることになります。
かなりの言葉が逆輸出され今につながっていますが、見た目が同じであるため時間がたつほど和製漢語とは意識されなくなってきています。
中国の人でも和製漢語とは知らずに使っている人が大半ではないでしょうか。
いくつかの例を挙げてみましょう。
中華民国は孫文の辛亥革命(1911年)で誕生したのですが、当初孫文は清朝打倒の行動を「造反」という言葉で使っていました。
しかし、日本の新聞が「孫文の支那革命」と書いた記事が 目に留まって「これだ!」と叫び、「今後はわれらの行動を『革命』と称することにする」と決意したとのエピソードがあります。
そして、辛亥“革命”という名前になったわけです。
更には国の名前があります。
「中華人民共和国」の言葉の中でもともとの中国の言葉は「中華」だけです。
「人民」も「共和国」も和製漢語です。
こういうことをお互いが認識して、共同文化の発展を考えれば尖閣のようにこじれた問題にはならないのではないかと思いますね。
また、国の定めごとの基本中の基本である法律の「憲法」も和製漢語であり、中国に逆輸出された漢字の一つです。
分かる範囲でランダムに挙げてみます。
意識、右翼、運動、共和、左翼、失恋、接吻、唯物論、電灯、電報、電話、進化、文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、階級、理性、感性、主観、客観、物理、化学、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義 など
中国においては独自のヨーロッパ文明の取り込みもあり、和製漢語と中国漢語がぶつかる場面もありました。
また、和製漢語の導入に積極的だった魯迅、梁啓超、孫文、毛沢東らに対して、和製漢語の導入を「亡国滅族」とする彭文祖のような人がいたこともわかっています。
最後に敬意を表してこのころに和製漢語を編み出したといわれている人たちを挙げておきたいと思います。
福沢諭吉、西周、杉田玄白、中江兆民、森鴎外、夏目漱石
まだまだたくさんいるはずですが、一生懸命新しい漢語を生み出したことが、結果として古来よりの「やまとことば」をひらがなとして守ることになりました。
先人たちの努力に感謝です。