北のイスラエル王国の崩壊を予言したイザヤはわずかながら救いの道も予言していました。
「東で神をあがめ、海の島々(海沿いの国)でイスラエルの神、主の名をあがめよ」(イザヤ書24 章25 節)とあります。
イザヤの一族に率いられてイスラエルの失われた十支族は東に向かったと思われます。
イスラエル王国が崩壊したのは紀元前722年です。
紀元前660年、遠く大陸を隔てたアジアの果ての島々の国である日本において皇室の歴史が幕を開けます。
古代日本の文化とイスラエルの文化が酷似するのを理由付けするには、この60年を見てみる必要があります。
十支族はいくつかのルートを通って東に向かったと思われます。
西は海、北は天敵のアッシリア、南はアラビアの砂漠と言う環境の中では、山を越えて東に向かわざるを得なかったことでしょう。
未知の世界を目指すことしか生きるすべがなかったということなのでしょう。
その中で一番多くの民が通ったのが陸路としてのシルクロードだといわれています。
シルクロードにはいたるところにべブライ語の看板が残っています。
数少ない資料の中から十支族の足取りを追ってみます。
イスラエルの民はもともと遊牧民族であり、信仰の父と呼ばれるアブラハムや「主は私の羊飼い」と言ったダビデ王に代表されるように、天幕で移動しながら羊や馬を放牧して生活圏を作ってきました。
十支族が国を失った後の紀元前7世紀には、スキタイ族が現在の南ロシアに広大な遊牧国家を作り時とともに東に移っていったのは歴史上の事実です。
十支族がスキタイ族と同化したりあるいは指導層として国家形成を手伝ったりして騎馬民族となり東に向かい日本に至ったと考えることはできます。
スキタイ族はあっという間に歴史から姿を消してしまいます。
しかし紀元前4世紀には騎馬民族の匈奴が東モンゴルのほうで力を伸ばし遊牧国家を作っています。
彼らのルーツは西アジアから来た高度の文明を持つ民であることが分かっています。
十支族の目的は東の海の島々であり、そこへ行くためにはあらゆる知恵と技術を使ったと思われます。
それは通り過ぎた後にも子孫たちに伝承されて育っていったものと思われます。
一説では秦の始皇帝(紀元前250-紀元前210)の目の色はブルーで西洋系の特徴を持っていたユダヤの民といわれています。
十支族と思われる民族の移動には、東に向かうための侵攻はおこないますが征服による領土の拡大は見られません。
それよりも一時的に高度な文明を持って歴史に顔を出したかと思えばすぐに歴史から消えてしまいます。
イスラエルの民は専門の技術を持ったものの集団だと思われます。
当時の他の民族と比べると明らかに栄養価の高い海産物や乳や果物を採っていたといわれています。
天文、建築、農業、治水、冶金、航海などの技術者集団であり、自らの国を失った彼らはその技術を提供することで東への道を切り開いていったのではないでしょうか。
その高度な技術は専門用語としてのイスラエル語とともに彼らの歩んだルートに残されていると思われます。
言葉の生まれ始めた各地の文明との融合により、取り込まれ訛ってしまい原形をとどめないものもたくさんあるのではないでしょうか。
目的地日本においては、途中の経過してきたところとは異なります。
予言通りだとすれば、彼らはここで国を作ったのです。
皇統を始めたのです。
イスラエルにおける旧約聖書のように古事記に神話を登場させそこにイスラエルの神を置いたのです。
天皇家の紋章である十六菊花紋章はエルサレムの神殿にも、さらにはメソポタミアのシュメール人の神殿にもほぼ同じものを見ることができるそうです。
古事記の成立は不確かでなければならないのです。
語り継がれた国造りの神話の数々は、その原点を聖書だと考えると見えてくるものがあります。
イスラエルにおける建国の神話が聖書であるように、日本における建国の神話が古事記であり、その共通性はまだまだ語りつくせないところです。
2003年までは日本での弥生(稲作)が始まるのは紀元前500年ころと言われてきました。
これを覆す事実が発見され紀元前800年ころまでさかのぼるようになりました。
第一弾で到着した失われた十支族の子孫が皇統を始めたのち、歴史に残る大きな移動は283年に技術者集団としてやってくる秦氏があります。
彼らはそれぞれの専門分野において技術を広め、名を改め帰化していくのです。
この時期の中国朝鮮の情勢は安定しており、あえて危険を冒して日本に来る動機が見えません。
追われて逃げてくるわけでも、侵略に来るわけでもないのです。
しかも遥かに低い文明しか持たない国で、そのまま帰化して日本に根付くのです。
秦氏は秦の始皇帝の子孫ではないかと言われています。
そこにイスラエルの影響が見えるならば、東に向かう中で各地に残った十支族の子孫たちが大陸において秦氏のもとに集結してから、自分たちの国としてやがては目指すべき日本へ渡ったのではないでしょうか。
このように見てくると日本人には世界の最初の文明を築いたシュメール人の血が、そして神の民としてのユダヤの血が色濃く交じっているのではないでしょうか。
戦うことを嫌い、神や自然との共生のために技術を発展させた民族としての知恵と歴史が、やまとことばには込められているのではないでしょうか。