2013年7月30日火曜日

母語の習得と幼児教育(1)

どんな言語であっても母語の習得について一番大切な時期は2歳から5歳ころまでであることは今までも何度か述べてきました。

この時期は人間の脳が一番発達する時期であり(脳の容積が一気に約4倍になる時期です)、母語の習得にかかわらず人としての基本機能を習得するとても大切な時期です。

この時期に興味を持って何かに集中的に取り組めばいわゆる天才を作ることが可能であることもわかっています。

かつては実験的に芸術的分野や高等学問的分野において、そのような取組がおこなわれてきたこともありました。

しかし、ある時期までは記憶や技術的習得において天才的な発達(吸収力)を見せたものの、その後の一般生活においては思考的な欠陥が生じることもわかってきました。

それ以降、幼児期における集中的な偏った習得は、人としての思考力を育てるための弊害になるとして英才教育は消えていきました。


その後の研究によって、この時期は将来の思考の基礎である(思考するための道具である)母語の習得こそが、その後の可能性の広がりと思考力の育成につながることがわかってきました。

考えてみれば当たり前のことですが、知識の習得はすべて母語によってなされるわけですし、思考はすべて言語によってなされるからです。


知識の習得のための母語の基礎は2歳から5歳の間で完成します。

その後は10歳くらいまでの間で母語をベースにした第一言語を習得し、思考するための道具である言語を身につけていきます。

それ以降は様々な思考方法に触れたり、語彙を増やしたりしながら思考する道具を磨き上げていくことになります。

特に日本語のように大きな言語(膨大な語彙数、多様な表記文字種、複雑な文の構成など)は母語を習得することによって、母語の中にある感性を習得しないと使いこなすことができません。

その後の学校教育の中ですべてのことを教えることはできないからです。

学校教育で教わらなかったことでも、聞いたり読んだりした時に精確ではなくとも何となく理解できるのは、この感性のおかげといえます。

全く言葉を使う環境になかった子供(例えば奇跡的にジャングルで育った子供など)は、15歳くらいを越えてからは一切の言語を身につけることはできないという調査結果があります。


言語が身につかないということは思考ができないことを意味します。

思考は言語でなされます。

言語の基礎である母語が身につかないと、記憶することはできてもその記憶を使いこなす思考が育ちにくいことになります。


では、母語の習得において一番大切な時期である2歳から5歳の時にどうしたらいいのでしょうか。

特に意識しなくとも子供は自然に母語を身につけていきます。
2歳前後には言葉の噴火・爆発と呼ばれる、一気に言葉を発し始める時期が来ます。

一番大切なことは、母語の習得のために妨げにになる英才教育的なことを一切やらないことです。

幼児期の英語教育や偏った分野の芸術教育や学問教育が最大の妨げになります。

親からしてみたら、何をやらしてもスポンジが水を吸うように吸収していきまので、その成長過程は見ててたのしくもあり、将来の無限の可能性を感じるかもしれません。

しかし、そのことが母語の習得の機会を減らすことによって、逆に将来の無限の可能性を封じ込めることになるのです。

ましてや子供の興味がそこにないのに続けることは、拒否反応を植え付け将来的な欠損に結びつく可能性が大きいことが研究されています。

人として生きるための最大の推進力である、思考することの力を削ることにつながるのです。


今回はまず、母語習得のための最大の障害について触れてみました。

次回は、母語習得のための好ましい環境について触れてみたいと思います。