2013年7月28日日曜日

文法がなかった日本語

言語には2種類の見方があるようです。

とくに言語を比較する場合は何らかの基準を設けないと、比較することができません。

そのために、一つの方法として「文法と語彙」に分けて考えることをするそうです。

また、実際の使われ方については「話し言葉と書き言葉」について考えたりもします。

今回は、「文法と語彙」の方を少し覗いてみたいと思います。


もともと日本には文法という考え方がありませんでした。

明治維新以降に西洋の言葉が一気に大量に入ってきたときに、文法に沿ってできている文章に美しさを見つけ、文化の開きを感じたことが始まりと言われています。

もともと文法という考え方がない訳ですから主語,述語がなく、場の状況や描写を意識して言葉を捜して会話してきました。

その場の雰囲気を大切にして言葉をつないできたのです。

そこに西洋より採り入れられた文法という考え方を無理やりあてはめたわけです。

通常、文法については研究者の名前を取って〇〇(式)文法と呼ばれます。

どの文法研究においても必ず例外が数多く存在しています。

もともと文を構成する規則性を持たずに1000年以上を経過した言語を、無理やりに分類してあてはめたわけですから、そこいらじゅうに説明のつかないことがあるのは仕方ありません。


日本語は主語や述語が省略されることが多くて分かりにくい、とよく言われます。

文法から考えるとこのような言い方になってしまうんですね。

もともと、文法なんかないわけですから、主語も述語も省略も何もないんですね。

自由奔放に飛び交う言葉に対して、文法的な理屈をつけてるわけですからその研究は例外だらけになってしまいます。

例外の多さは研究者にとっては敗北感を味わうことになりますので、更に細かく研究していきますと、ものすごい量の研究対象と分析になります。

文法研究に関する書物はとんでもない厚さになっており、ほとんどの研究は完結しておらず何らかの継続課題を残しています。


ところが、論理的に言語を学ぼうとすると文法から始めることが一番頭に入りやすい方法です。

枠(文法)を学んで、その枠にあてはめる要素(語彙)を学ぶのは学習の王道ですよね。

ところが日本語の場合はこの王道をきちんとやればやるほど、例外で頭をひねることになります。日本語を学ぶことが難しい理由はここにもあるんですね。

もし、私が日本語を知らないで日本語を学ぶことになったら間違いなく途中で挫折すると思います。

唯一の方法は、難しさに気付かないうちに学び続けてしまうことでしょうね。



語彙についても日本語は他の言語に比べて、とんでもなく多くの語彙を持っています。

「やまとことば」を残しながら漢語や西洋語、英語も取り込んできたため、異常な情報量の増加も手伝って毎日語彙は増えています。

こんな例があります。

ネイティブ同士の会話の90%程度を理解するのに必要な言葉の数を研究したデータがあります。

フランス語ですと2,000語、英語だと3,000語あれば理解できるそうです。

日本語ですと10,000語が必要だそうです。


どこの国の人でも自分の母語についての文法を意識して使っている人はいないと思います。

母語である限りは使い方は感覚として身についてしまっているからです。

第二言語として学ぼうとした時に、例外の少ない文法があると論理的に学ぶことができやすいということになると思います。

几帳面な人には嫌われるかもしれませんが、日本語は文法を考えないほ方が本来の自由奔放な表現力を生かせる言語です。

日本語特有な文法に囚われない様々な言い回しがあり、その場に応じて表現する言葉が選択できます。

使い方にこだわらない言葉こそ、本来の言葉の活きる使い方も知れないですね。



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