漢語、いわゆる漢字の音読みによって作られた熟語は明治以降に多用されたものであることは、すでに福沢諭吉の例などで見てきました。
つまり、それ以前はやまとことば(和語という研究者もいらっしゃいます)が多用されていたということになります。
このことを国語学者の中田祝夫さんが「日本の漢字」の中でスポーツを例に指摘されています。
剣術の用語はたいてい和語である。
たとえば、構え、足さばき、素振り、払い技、すりあげ技、竹刀、突き
などという調子です。
もちろん中には「面」「胴」とかの漢語もあるが、これはいたって少ない。
ところが野球用語は圧倒的に漢語が多い。
内野、外野、投手、打者、三振、盗塁、走塁妨害、暴投
となって、和語の用語は「すべりこみ」「空振り」「押し出し」「さよなら勝ち」くらいのものではないか。
というようなことを言われています。
明治以降の代表として野球を持ってきて、古来伝統の剣術と分り易く比較させるという思わず納得させられる手法を見せつけられます。
あまりの鮮やかさに本当かなと思って、野球用語のうち和語がないものか探してみました。
そうしたら、投げ込み、打ち込み、横手投げ、下手投げ、決め球、振り逃げ、隠し玉
そこそこ見つかってしまいました。
だからと言って説を否定しきれるようなものでもありません。
面白いものが見つかりました。
振り逃げ、隠し玉というのはプレーとしてパッとしないものです。
正規のプレー以外のちょっと間の抜けたプレーといえます。
見てくれの良くないものですから漢語で言うとぴったりしないのです。
漢語に言い換えてもどうもうまくいかない。
「三振出塁」や「隠玉(いんきゅう)」では感じが出ない。
あのどちらかというと滑稽な愛嬌のある趣が出ません。
更には中田氏の挙げた「空振り」「押し出し」にしても、「空振(くうしん)」や「押出(おうしゅつ)」では何となく変です。
その何となく変な感じを分析してみると、どうやらマイナスイメージのものには和語が似合う、その手のものについては文字を音で読ませる漢語による造語は無理と言えるのではないでしょうか。
どうも明治以降の漢語と和語の混在のなかにおいては、プラスイメージのものには漢語を使い、マイナスイメージのものには和語をつかうという風土になっているようです。
漢語はそれくらい立派で、和語はそれに比べると格が低いと心(頭)のどこかで感じながら日本語を操っているようです。
公文書や高官は漢語を公用語とし、庶民はひらがなをつかって暮らしてきたことがどこかに残っているのかもしれませんね。
やがて西洋語が生で入ってくると、その音を表記したカタカナが最上級に来て、次が漢語一番下が和語となってきてしまいました。
この三種類の言葉による三段階の格式は現代日本語に定着してしまっており、日本古来の言葉であるやまとことば(和語)への関心を妨げていると思われる。
国語学者の大野晋さんがこのことについて以下のように述べられています。
カタカナで「アイディア」と言えばいかにも内容のあることをきちんと考えたようだし、「着想」と言えばそれに次ぐくらいの貫禄なのに、和語で「思いつき」と言うとひどくつまらないことを軽薄に思っただけのように聞こえる。
われわれは対象を軽蔑するときに和語を使う傾向があるようです。
次は少し焦点を絞って漢語とやまとことば(和語)に集中して考えてみたいと思います。