残された資料から見えることは単なる模倣や文化の導入のためということではなく、日本という国が世界で生き残っていくための選択として真剣に検討された跡があります。
明治維新以前にはそもそも国語という概念すらがありませんので、全国民を対象とした教育という考え方すらありませんでした。
明治維新にによって流れ込んできた欧米の先進文化・技術は彼らの言語を持ってしなければ正確に解釈できないことも多かったと思われます。
その中で多くの知識人たちや指導者たちが海を渡り自らの肌で直接に今迄とのギャップに触れることになりました。
その中から国語外国語化論とも言うべき議論が起こってきたことは時代の必然ではなかったのかと思われます。
とくに本気で日本の教育を考えようとした初代文部大臣となった森有礼は二つの資料でその痕跡を残しています。
1872年にイエール大学の著名な言語学者であったW.D.ホイットニーに宛てた書簡であり、もう一つは1873年にアメリカ滞在中に英語で刊行した「日本の教育」(Education in Japan)の序文です。
これらについては「日本語廃止、英語採用論」として批判の対象となることはあってもその背景をしっかりと見据えた評にはあまりお目にかかることがありませんでした。
結果としては日本の教育の基盤としての国語を英語にしようとした森有礼の意見に対して、ホイットニーが待ったをかけたという結論のみが誇張されたものとなっているようです。
この当時の英語による国語教育は福沢諭吉なども主張していた時期でもあります。
日本の将来を見据えた時に、明治初期には一日でも早く欧米の文化・技術 に追いつくことが最大のテーマでした。
少しでもつまづきを見せた時には列強による植民地としての草刈り場となることが目に見えていたからです。
その中での文化・技術の取り込みに際して、世界ではどこでも通用しない言語である日本語に翻訳をすることがどれほど大変な事だったのかは、ここまで英語に馴染んできている私たちにも想像ができるのではないでしょうか。
この当時に本気で日本の行く末を考えた人達は、多かれ少なかれ言語のギャップを感じざるを得なかったのではないかと思います。
真剣に考えれば考えるほど一途に国語の英語化へと突き進まなければならいほど余裕のない環境でもあったと思われます。
その時にきわめて当たり前ではありながらも客観的な意見を言語学者としての専門家の立場から日本語に対して指摘してもらえたことは、日本にとっても貴重な事でなかったでしょうか。
森有礼が「日本の教育」を発刊してから約六十年後に志賀直哉が「国語フランス語論」を打ち出します。
そこでは森有礼の話も引用されながら、フランス語についての見識も大してないことを披露しながらも感覚的に取り上げたものですが面白いものとなっています。
文学作品としてのフランス語による感情や状況表現の豊かさに日本語との共通性を感じながらも、日本語では世界に通用しないことを指摘しています。
通用しないということよりも日本語に変換するという行為によって本意が変わってしまう可能性を指摘しています。
欧米の言語のなかでもフランス語がいちばん日本人の感覚に馴染みやすいのではないかと主張をしています。
終戦直後には議会政治の父と呼ばれた尾崎幸雄が英語による国語教育を主張することもありました。
慶應義塾で福沢諭吉に学んだことと無縁ではないと思われます。
森有礼が持論を展開したときにも「日本の言語によっては国家の法律を保持することは出来ない」と指摘しておりそれ以外のいくつかの例を挙げながら、国語としての日本語について「その使用の廃棄の道を示唆している」と結んでいます。
そこで言っているのは日本の言語(the language of Japan)であり、けっして「日本語(Japanese)」とはいっていません。
好意的な見方をすれば、日本語は伝統文化を継承するものとして維持しながらも世界と交わるための実用的な言語としての「日本の言語」のあり方を模索した結果だと言えると思います。
複数の表記方法を持つ日本語は、日本語の中に複数の言語を持っているということもできるものとなっています。
現代では漢字だけでの表記方法、いわゆる漢文ではほとんどの人が使いこなせない状態になっていますができるだけ漢字で表記しようとすることは可能です。
カタカナにいたってはすべての日本語を表記できるものとなっています。
もう一つのすべての日本語を表記できるひらがなが伝統文化の継承のために表記される専門言語になっているのではないでしょうか。
漢字やカタカナを多用することで感覚的には英語やフランス語に近いものを表現できる力を備えてきていると思われます。
近年の氾濫するアルファベットは母語としてアルファベットを使用する民族ですら分からない造語を作り出してさえいる状況です。
英語教育に対しての考え方も定まらないうちに行なわれている義務教育への英語の浸透は本当に将来の日本を見据えた時にふさわしい選択なのでしょうか。
あらためて日本語の本当のチカラを見直す機会になって欲しいものだと思います。
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終戦直後には議会政治の父と呼ばれた尾崎幸雄が英語による国語教育を主張することもありました。
慶應義塾で福沢諭吉に学んだことと無縁ではないと思われます。
森有礼が持論を展開したときにも「日本の言語によっては国家の法律を保持することは出来ない」と指摘しておりそれ以外のいくつかの例を挙げながら、国語としての日本語について「その使用の廃棄の道を示唆している」と結んでいます。
そこで言っているのは日本の言語(the language of Japan)であり、けっして「日本語(Japanese)」とはいっていません。
好意的な見方をすれば、日本語は伝統文化を継承するものとして維持しながらも世界と交わるための実用的な言語としての「日本の言語」のあり方を模索した結果だと言えると思います。
複数の表記方法を持つ日本語は、日本語の中に複数の言語を持っているということもできるものとなっています。
現代では漢字だけでの表記方法、いわゆる漢文ではほとんどの人が使いこなせない状態になっていますができるだけ漢字で表記しようとすることは可能です。
カタカナにいたってはすべての日本語を表記できるものとなっています。
もう一つのすべての日本語を表記できるひらがなが伝統文化の継承のために表記される専門言語になっているのではないでしょうか。
漢字やカタカナを多用することで感覚的には英語やフランス語に近いものを表現できる力を備えてきていると思われます。
近年の氾濫するアルファベットは母語としてアルファベットを使用する民族ですら分からない造語を作り出してさえいる状況です。
英語教育に対しての考え方も定まらないうちに行なわれている義務教育への英語の浸透は本当に将来の日本を見据えた時にふさわしい選択なのでしょうか。
あらためて日本語の本当のチカラを見直す機会になって欲しいものだと思います。
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