時間を使って失敗を繰り返すことの経験によって手に入れるのが一つの方法です。
もう一つは、お金を出して人手に入れたものを利用する方法です。
これ以外には手に入れる方法が見当たらないのです。
きわめて当たり前のことなのですが、恵まれ過ぎた現代ではかえって気がつきにくいことなのかもしれませんね。
手に入れたものや手に入れたものを利用したものをお金に替えようとする活動ばかりが目立ってしまっていると思われます。
そのために、どんなものであってもお金さえ出せば手に入れることができるように見えているのではないでしょうか。
したがって、何かを手に入れるためにはそのために必要なお金を手に入れるという媒体行為が中心になってなっていると思われます。
手に入れたいものが明確でなかったとしても、とりあえずお金さえ持っていればいつでも交換できるという安心感につながるものとなっています。
そして、ほとんどの物や事がお金で買うことが可能となっているのも現実ではないでしょうか。
その中でも衣食住の最低限レベルの物であったとしても自力では手に入れることができなくなっているのが現代ではないでしょうか。
何かを手に入れるために失敗の経験を積むためにも、最低限の衣食住はなくてはならないものです。
これが、親の庇護のもとに扶養家族として存在しているということではないでしょうか。
この時期に、時間を使って失敗を繰り返すことによって何かを手に入れることの経験をうまくできなかったりすると、二つのうちの一つの方法が身につかないことになります。
つまりは、お金で手に入れる方法しか持たないで社会を生きていくことになることになります。
社会に出てから失敗の経験を繰り返して許される環境はほとんどありませんし、そのための時間もありません。
社会に出ることは、自分の時間のほとんどの部分を切り売りしてお金に替える行為になっているからです。
もともと失敗の経験を繰り返して何かを手に入れた経験のない人にとっては、残った時間を有効に使って何かを手に入れることも苦手になっています。
お金を使って買うことによって、その場ではその対象について必要なものを手に入れることができますがそこから得られることは買うという経験の積み重ねでしかありません。
何かを手に入れるための方法としてはなにも変わりがなく買うという方法の経験を積み重ねているだけになります。
この方法が中心となってしまった場合には、すべての前提にお金を手に入れることが優先されることになります。
いくらでもお金を使えるだけの収入があれば別ですが、使えるお金には限界があります。
先行きが見通せなくなっている現代では、どれだあれば安心できるのかが全く分からなくなりました。
お金で買えるものは結果としての物や事であり、自分で失敗を繰り返していくための時間です。
自分で失敗を繰りかえして経験しながら手に入れるための時間が惜しければお金でこれを買うしかありません。
反対に、その時間と効率を買うお金がなければ失敗の経験を繰り返しながら時間をかけて手に入れていくしかないのです。
手に入れたい物や事はたくさんありますが、じっくり考えてみると本当に手に入れたいものはそれらの物を手に入れることができる能力でありチカラであることに気がつきました。
それらの物を手に入れるためのお金をどうやって稼ぐかと言うことではなかったのです。
一番いけなかったのは、即物的に手に入れることができるお金もないくせに「欲しい」と思っているだけでそのための行動を何もしていないことだったのです。
何かを手に入れる方法は二つしかないのです。
失敗の経験を繰り返して行なっていけばいつかは最後は必ず手に入れることができます。
何もしなければ失敗の経験すらできないことになります。
手に入るわけがないのです。
時としては、たいした失敗もしないうちにお金も使わないのに手に入れられてしまうことも起こります。
一番楽に手に入った経験ではないでしょうか。
棚からぼたもちや瓢箪から駒などといったラッキーですね。
しかし、これに頼るわけにはいきません。
これをを待っているわけにはいきません。
お金を使わずに生きていくことは不可能です。
しかし、お金を使うことで手に入れることに頼ってしまうとどれだけあっても足りません。
失敗を繰り返して何かを手に入れた経験は同じようなものを手に入れようとするときの能力(チカラ)となります。
より効率よく楽に手に入れることが可能になります。
お金を使って手に入れたものは、同じようなものを手に入れようとするときには同じようにお金がかかります。
失敗を繰り返した経験によって得た能力(チカラ)は、単なる資格とは異なって誰かの役に立つ可能性があります。
その能力(チカラ)に対してお金を払ってもらえるかもしれません。
より高い効率性を求めた時に一番役に立つことは、似たようなことに対する失敗の経験の多さです。
望む結果に対して消費する時間(コスト)を最小限にするためには、似たようなことに対する失敗の経験をどれだけ多く集めることができるかにかかっているということができます。
この失敗の経験が能力(チカラ)ではないでしょうか。
現実的な社会生活は経済活動がほとんどです。
そこでは効率性の勝負が行なわれていることになります。
ところがこれを行なっているのは個人の人間です。
効率性のために個人の能力(チカラ)を利用している事になります。
そこで、失敗の経験をできる環境にある場合は恵まれているということができるでしょう。
ほとんどの場合においては、失敗の経験を積み重ねることは個人としてしかできないことになっていると思われます。
お金をかけないで失敗をたくさん経験する環境を自分で作っておかないと辛くなりそうですね。
手に入れたいものが抽象的になっていくほど、お金はかかかる様になっているようです。
手に入れたいものはどんどん抽象的になっていると思います。
物で象徴できることが少なくなってきていると思われます。
遅くはないですね、いつでも失敗の経験をしていける環境を作っておきたいですね。