2016年1月4日月曜日

「はたらく」を考える

今日は仕事始めの人もいるのではないでしょうか。

年初めのテーマに「はたらく」を考えてみました。

とはいっても日本語の実用面から考えてみたわけですから単純に「働く」とはなりませんね。


まずは当て字が思い浮かびます。

あなたはどんな当て字が思い浮かびますか?


いくつか出てきた中で一番「なるほど、使えるかな」と思ったものが「傍楽」です。

いろいろな意味合いを考えてみてもとても面白いと感じました。

「傍」は傍らでもありいわゆる自分ではないものに目を向ける、自己中心を戒める時によく使われる言葉です。


自分ではない他のものと言うことですが、そこには自分からそれほど離れていない目の届く範囲にあるものがニュアンス的にあると思われます。

更には同じものでも者であって物ではないという感覚もあるのではないのでしょうか。

「傍目八目(おかめはちもく)」としてもよく使われる文字ですね。

つまりは、自分の周りにいる自分以外の人ということになると思われます。

もっと単純にすれば、いつも自分に影響を与えている人と言ってもいいのではないでしょうか。


「楽」は「たのしい」もあれば「らく」もある言葉です。

この場合は音としては「らく」になりますのでどうしても「楽をする」というニュアンスが思い浮かぶことになります。


「楽をする」というニュアンスには「手を抜く」や「やらずに済ませる」的な感覚が伴っています。

「傍楽」とした場合にはこのニュアンスは余り相応しくないように思えます。

むしろ直接的な「楽」よりも「苦」の反対としての「楽」を思い浮かべたほうがいいようです。


身近な人たちの苦労を取り去ることが「傍楽」=「はたらく」と言うことになるのではないでしょうか。

自分自身を中心に考えると「はたらく」は稼ぐことであったり仕事をすることであったりすることになります。

しかし「傍楽」と考えることができると、自分のことよりも周りの人の苦しむことを解消することにつながることになるのではないでしょうか。


同じことを、主体と客体に焦点を置き換えて考えてみることは同じ言葉であっても簡単にできることになります。

入れ替えてみただけで同じ言葉であっても持っているニュアンスや感覚が大きく変わってくることもあるのではないでしょうか。


日本語は一般的に使われている限りにおいては省略の言語です。

言語による表現を最小限にすることを善しとしている感覚を持ったものとなっています。

和歌の世界でその技術が磨かれてきたことは想像することが簡単にできることだと思います。


したがって、同じ言葉や音に対して一人ひとりの想像力に頼る範囲が他の言語に比べるととても大きくなっています。

言語化されたもののみをすべてとするアメリカ英語の感覚とはかなり異なっている点と言えます。

実際に表現されている以外のニュアンスや感覚を前提としていることになります。


しかも、このニュアンスや感覚は一人ひとりの持っているものに委ねられていますので、決して全く同じものとはならないことになります。

省略されて言語表現が少ないにもかかわらず、一人ひとりの異なる言語感覚に委ねられていますので、当然理解される内容は一人ひとり大きく異なることになっていきます。

その前提で成り立っているのが日本語の感覚なのです。


したがって、同じ言語表現に触れてもその理解においてはすべての人が異なっていることが当たり前であるという前提が日本語にはあるのです。

言語表現で絶対的な共通理解を得ることは出来ないことが大前提にあることになります。

どんなに言葉をつくしても、どんなに言語表現を磨き上げても、伝える人と伝えられる人の間にはその理解において必ず違いがあることになります。

同じ論文やドキュメンタリを読んでもその理解において一人ひとり異なるのは当たり前のことになるのです。


「はたらく」を「働く」とすることも「傍楽」とすることも個人の持っている感覚の世界の出来事です。

「傍楽」とすることにしても音としての「はたらく」から導かれる基本的な言葉の意味は理解されているのです。


漠然とした音としての「はたらく」を受取っても、「働く」として理解するのか「傍楽」として理解するのかではそのあとの行動において違いが出てくることになります。

固定的なものではないと思われます。

経験によって変化する物でもあると思われます。

その時その時の自分の理解にとっての一番いい理解をすべきものとして音としての言葉を受取ることができたらいいですね。

ポジティブワードとはこういうことを言うのではないかと思っています。

今年は、このあたりを意識していきたいと思います。







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