2015年10月15日木曜日

カタカナの役割

現存している言語の中でも複数の文字を持っている言語は決して多くありません。

身近なところでは韓国におけるハングルと漢字が挙げられると思います。

その中でも「ひらがな」と「カタカナ」と言う全く同じ体系を持つ二種類の文字を持つ言語は、おそらく日本語だけだと思われます。


日本語においてはどんな言葉であっても必ずこの二種類の文字で表記することができます。

音韻の体系も全く同じものとなっているから可能となっていることです。

どうしてこのように同じ機能を持った二種類の文字が存在することが起きたのでしょうか。


普通に考えれば、「仮名」としての機能を持った存在はどちらか一方だけで十分に成り立っていたはずです。

使用目的として共通しない分野で存在し続けていかない限り、どこかで共通化や統一化の傾向があったはずです。

「仮名」を使用する場面が共通であったとしたらどちらか一方に集約されていることの方が自然ではないでしょうか。


あるいは、双方のいいとこどりによって融合された一種類の文字になっていたとしてもなんら不思議ではないと思われます。

それにもかかわらず、単に形の違う全く同じ音韻体系を持った文字として「ひらがな」と「カタカナ」の二種類が存在し続けているのです。


どうやら、「ひらがな」と「カタカナ」では使われる場面にかなり明確な違いがあったと思われます。

それが明治以降に一緒に使用される場面が増えてきたのではないでしょうか。


「ひらがな」は「いろは」によって身につけてきたものであり、その代表的な使用舞台は和歌であり女性やこどもの日常ことばとして定着していきました。

日常語を表した文字であり物語としても『竹取物語』以降の仮名物語によって広まっていったと思われます。

いわゆる情緒的な文学的な表現のための文字として利用されてきたものだと言えます。


一方、「カタカナ」は漢語と切り離すことができない文字でした。

漢語を「やまとことば」として理解する和訳(倭訳)に欠かすことのできない記号です。

漢語で何かを学ぼうとするときには「カタカナ」を抜きにしては不可能なほどにその技術が高められていきました。


漢語は政(まつりごと)における公文書であると同時に、学問としての仏教に欠かすことのできないものでした。

その担い手は、学問においても政においてもエリートたちの必須であったと思われます。

そのために「アイウエオ」としての五十音表の完成を見るまでのその痕跡はすべて「カタカナ」になっているのです。


日常的な言葉と和歌を代表とする情緒的な表現分野においては「ひらがな」が表記文字として定着していきます。

そこでは「カタカナ」に生涯触れることがなかったようなこともあったっと思われます。

「カタカナ」は漢語を手本とする学術分野である仏教を中心とした専門分野における学術記号的な発展をしてきたと思われます。


そこには文字のなかった「古代やまとことば」に漢語を利用してどのような文字を当てはめたら良いのかという言語学的な研究として「悉曇学」も大きな要素として存在していたと思われます。
(参照:「悉曇学」と日本語

「古代やまとことば」の音を情緒的に表す文字としての「ひらがな」の発展と並行しながら、音を表す文字としての音韻体系や使用のための規則性などを研究していったのが「カタカナ」だったのではないでしょうか。


したがって、一般的に見た観点からは「カタカナ」は学術的な専門用語と映っていたのではないでしょうか。

漢語という外国語を和語に翻訳する時点の途中過程の技術と言った方がいいのかもしれません。

感覚としては外来語といったものに近いのではないでしょうか。



時代が移るにしたがって専門用語も一般化していくものが多くなります。

やがて、「悉曇学」で扱われたもともとはサンスクリット語の言葉である「かわら(瓦)」や「だんな(檀那:旦那)」が広く使われるようになり、「古代やまとことば」の次の段階としての新しい「やまとことば」となって「ひらがな」化していったのではないかと思われます。

現代では、もはや「古代やまとことば」との見分けはほとんど困難に近いものとなっているのではないでしょうか。


「ひらがな」の基本は「いろは」であり、「カタカナ」の基本は「アイウエオ」だったのです。

それぞれが活躍する分野・環境が棲み分けされていたのではないでしょうか。

それでも、学術的に体系化された「カタカナ」の技術は、日々の言葉の使い方として広まっていくことによって更に簡略化されていったと思われます。


日本語の辞書として初めて「アイウエオ」順で編纂されたものが『言海』です。

その成立は大槻文彦によって明治24年(1891年)に全巻完成となっています。

その時までの辞書はすべてが「いろは」順で編集されたものです。


『言海』に対して、不便で検索しにくいと言ったのは福沢諭吉でした。

ところが使い始めてみればすぐにわかったのです。

五十音表は縦の母音「アイウエオ」の五段と横の「アカサタナハマヤラワ」の十行から成り立っています。


「いろは」では検索したい言葉の最初の音を探すのに「いろはにほへとちり・・・」と最初からずっとすべての音をたどって順番を見つけなければなりません。

「アイウエオ」では「アカサタナ・・・」ではるかに早くその音に行き着くことができるのです。

マトリクスとしての五十音表の効果がここにもあります。


現代の和漢混淆文(漢字かな交じり文)での表記の主体は「ひらがな」です。

「カタカナ」に出くわすとなんとなく外来語か専門用語かといったニュアンスがあるのではないでしょうか。

その感覚はとても自然なものだと思われます。


つまりは「カタカナ」で表記していること自体が「やまとことば」になっていないことの証なのではないでしょうか。

漢和辞典を見てみてください。

音読みも訓読みも書いてありますよね。

音読みは「カタカナ」ですし、訓読みは「ひらがな」です。


その漢字を音読みとして使っている場合には、日本語(やまとことば)になっていない言葉であることと等しいのではないでしょうか。

「カタカナ」のまま消えていく言葉もたくさんあったのではないでしょうか。

「カタカナ」のまま残った言葉もあるでしょう。


日本固有の料理だと思っている人もいるかもしれませんが、「てんぷら」は外来語です。

「天麩羅」という文字を充てたのは「悉曇学」による成果です。

恐らくは「テンプラ」と書かれていた時代もあったはずです、それでも今は「てんぷら」として日本語になっています。

現代の「やまとことば」と言えるのではないでしょうか。


同じ言葉であっても「ひらがな」で書くことによって情緒的に伝わります、気持ちとして心情的にわかり易い言葉となっていると思われます。

「カタカナ」で書くと固く冷たいイメージとして伝わります、どこかの専門用語的な感覚として思われるのではないでしょうか。

今使われている「ひらがな」ことばが「古代やまとことば」であったかどうかは確認が難しなっています。

仮にそうであったとしても、時代を経てきたことばの揺れによって正確な確認は難しいと思われます。


外来語 → 漢字 → カタカナ → ひらがな、これが日本語として定着していく基本形でだったのではないでしょうか。

現代では、「仮名」たちのおかげで外来語 → カタカナと直接的にできるようになっていると思われます。

更には、アルファベットという過程も存在していると思われます。


漢字の草体化によって情緒的な文字としての美しさや和歌を表記する文字として発達してきた「ひらがな」は、「カタカナ」によってその規則性や機能性を作り上げられ検証されてきたものだったのです。

日本語としての音韻体系や仮名としての文字体系がほとんど確立されたものなっている現在では、思いもつかない「カタカナ」の役割だったのではないでしょうか。

今はもう、その役割を終えているのでしょうか。

二つの仮名はいろんなことを想像させてくれますね。



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