2015年9月8日火曜日

新しい発想のための音楽

集中した知的活動を行なう時に音楽が流れている環境でやったほうが効果が出ると感じている人がいる。

脳科学の実験においても効果があることが認められているようですが、問題は流れている音楽にあると思います。


人が知的活動を行なっているときに活発に反応しているのは、言語野がある左脳になります。

知的活動は言語によって行なわれていますので、集中して行なっている言語活動の妨げになるような刺激は与えない方がいいことになります。

特に集中して知的活動によるアウトプットを行なっている場合には、他の刺激は集中を削いでしまう可能性があると思われます。


知的活動の中でも発想やアイデアを求める活動があります。

この活動のほとんどは連想ゲームのようなことをやっていることになります。

認知できるさまざまなことを刺激として新しいアイデアや発想を生み出していくことです。


そのためには、刺激の種類がたくさんあったほうが新しいアイデアや発想につながる確率が高くなります。

同じ知的活動であってもこの場合には集中して行なっている言語活動よりも他の刺激を受け入れることが効率の良いことになる可能性があります。


言葉に対する解釈は一人ずつ異なります。

たとえ全く同じ環境で同じ解釈をするように学んだ言葉であっても、その言葉と触れてきた環境によって一人ひとり違う解釈をする言葉となっていきます。

そして、その解釈はふたたびその言葉にで出会った瞬間に自分の中では固定的な解釈によって決定つけられていきます。

そうして、自分の中での固定的な解釈がされた言葉となっていきます。

同じ言葉に対して新しい別の解釈をすることは、平常とは異なった刺激的な環境においてその言葉を意識しない限りは難しいことになります。


特にその言葉に対して新しい解釈やいままでとの違いを意識させられない限りにおいては、自分の持っている固定的な解釈で自然に受け入れていくことになります。

ルールや決まりきったことにおいてはとても大切なことになりますが、新しいアイデアや発想といった知的活動においてはこの固定的な解釈が足を引っ張ることになります。


固定概念があることによって人は間違い犯さないようになっていきますし、生きていくことができるものです。

固定概念は決して悪いことではなく、人が生きていくためにはなくてはならないものです。

それでも、新しいアイデアや発想を行なうという知的活動においては足枷となるものでもあります。


人間の持っているのものや感覚において、一方的に良し悪しを決めつけられるものはありません。

状況によって良い方にも妨げにもなるものばかりです。

それは固定的なものでもありませんし、その基準も常に動いているものではないでしょうか。


絶対的なベストは存在しないのです。

その時々の環境におけるベストでしかないと思われます。

その時点でのベストは、次の瞬間にはベストではないかもしれないという程度のものではないでしょうか。


一度出したベストに対してのこだわり過ぎもよくなければ、その時点でのベストに対しての妥協もよくないことになります。

その時々の環境で本気でベストを尽くさなければいけないことに変わりはないのですが、そのことに対するこだわり過ぎもよくないということになります。


そんな活動を行なう環境を自分でコントロールするための一つの方法として音楽を利用することがあります。

見てきたように、徹底的に集中して知的活動によるアウトプットを行なう場合には一切の外部からの刺激を遮断した方が効果があると思われます。

ここでは、音楽を含めて余分な刺激はない方がいいことになります。


しかし、新しいアイデアや発想を行なうという知的活動には、外部からの刺激があったほうが効果があることになります。

ここでは音楽が役にたつ場面が大いにありそうです。

では、その時の音楽は歌詞としての言葉がついていた方がいいのでしょうか。


意味の分かる言葉としての歌詞は言語として認知しますので左脳が刺激されます。

音楽だけであれば感覚脳としての右脳が刺激されます。

歌詞がついていたとしても聞いたこともない意味の分からない言語によるものであれば、言語としての刺激はありませんので右脳しか刺激されません。


言葉と音楽が同時にある場合は、人はどうしても言葉の方を重視して聞き取ることになります。

日本語の歌詞による音楽を流している場合には、音楽としての理解よりも言語としての理解をしようとしていることの方が強くなっているのです。

生きるためにはさまざまな音の中から言語を聞き分けることが最も重要な機能だからです

ですから、聞き取れなかった言葉や意味の分からない言葉は「?」となって左脳で引っかかってしまうのです。


アイデアや発想は言葉の連想による一種の言葉遊びですので、言葉で引っかかってしまっては活動に支障が出ます。

同じ言葉でも自分が持っている固定的な解釈とは違った受け方ができる環境にしたいわけですから、言葉としての刺激よりも感覚的な右脳への刺激をしたいことになります。

言葉とは違う刺激で環境を変えることによって、今までの言葉にも新しい解釈をできるようにしたいのです。

その時に流す音楽は、歌詞のないインストゥルメンタルになると思われます。

ジャンルで言えばクラシックやジャズ・雅楽などさまざまものがあると思われます。


とくに聞きなれていない曲であることが大切になると思われます。

固定的な解釈から離れたいわけですから、聞いたことがある曲はその曲に対してある種のイメージを持ってしまっているためにそれに影響されてしまうからです。

聞いたことのない曲によって新しい解釈のきっかけとすることができるからです。


思考パターンが決まりきった活動している場合には、その思考パターンを作ってきたときに影響された馴染みの曲を流すことが効率をよくします。

単純な知的活動に対してはいつも同じ曲を流すことによって、安定的な効率を確保することが可能になるのです。


聞きなれたおなじみの曲によって流れてくる歌詞は、固定的な知的活動パターンを効率よくしてくれます。

余る深く考えることなしに、決まりきった知的活動パターンで行なう活動には向いています。

ましてや、その歌詞がそらんじて歌えるくらいになっているようであれば、その曲を流すことによって一種のスイッチが入るような現象になると思われます。


工場の単純労働に対して音楽が与える効果は決して低いものではありません。

余分なことを考えさせることなく、固定的な思考パターンを染みつけることにも利用されていることなのです。


毎日同じ曲を同じ時間に流すことによって知的活動もパターン化されてしまうことになるのです。

作業的なことを中心に行なっている場合にはこの方が都合の良いこともあるのではないでしょうか。

ところが、新しいアイデアや発想が必要な時にいつもと同じ曲を流していても逆効果になってしまうのです。

さらにそこに聞きなれた歌詞でも流れていたりすると、ほとんど新しいアイデアや発想は生まれてこないことになってしまいます。

環境的に、その場自体が妥協することに対して安易になってしまうことになります。


環境音楽(BGM)を流すときは、どのような知的活動をしている場なのかということに注意して曲を選びたいですね。

とくに歌詞がついている曲を撰ぶ場合には注意が必要になります。

上手くはまると大きな効果を得られることも間違いありませんので、しっかりと考えておきたいところです。