季節を表す言葉は中国からそのまま持ってきたものが多いです。
気候的に似ていることもあるのでしょうが、暦の発展が中国の方がずっと早かったことの方が大きいのではないでしょうか。
四季を初めとして二十四節気や七十二候など多くのことが取り入れられています。
時代とともに、日本独自の要素が加わっていきより身近なものとなっていったのではないかと思われます。
梅雨については江戸時代に使われ始めた言葉とされていますが、それは音としての「つゆ」についてのことだと思われます。
中国語の黴雨(バイウ)という言葉があったと言われていますが、カビを意味する漢字が嫌われて文字が変わっていったとする説もあるようです。
梅雨の語源についてはいつくかありますが、定説はないようですね。
読みとしての「つゆ」は江戸時代のようですが、文字としての「梅雨」は平安時代の漢詩集にも見ることができます。
意味は、現在の梅雨と同じ意味で使われています。
読みくだしにしたとしても「バイウ」という名詞であり、「つゆ」という音はなかったと思われます。
中国から伝わってきたときの音は「バイウ」であり、日本に伝わったころの表記は「梅雨」だったのではないでしょうか。
日本語の音としての「つゆ」はいろいろな意味がありますので、「つゆ」という音の意味するものを全部集めてみると大きな共通性があります。
水を含んだ液体であり、決して量の多いものではないことですね。
むしろ少ないや短いといった感覚の方が強いものになっているのではないでしょうか。
「つゆ知らず」などの「つゆ」も同じ語源ではないでしょうか。
「梅雨」の読みの語源についてはいくつかありますので、代表的なものを挙げておきます。
- 木の葉などに降りる「露」から来ている。
- 梅の実が熟してつぶれる時期であることから、「つぶれる」を意味する「潰ゆ(ついゆ、つゆ)」から来ている。
- 「梅」のつくりになっている「毎」は、毎度とか毎日とか、連続して雨が降るこの時期に梅雨という漢字が当てられた。
- 昔中国では黴雨という字が当てられていました。カビの雨と書いてバイウなのですが、たしかにカビの季節とはいえ語感が悪いので、梅雨という字に改められたという説もあります。
そう思ってみると今年の梅雨はまったく「少し」ではないですね。
男梅雨とも言われますが場所によっては完全な暴風雨であり嵐ですね。
少しは梅雨らしくあって欲しいと思うのはわたしだけではないと思います。
梅雨には少ない雨がしょぼしょぼと降るのが似合っているのではないでしょうか。
激しい雨や風を伴った梅雨は夏明けの台風を思わせるものがあります。
野分と呼ばれる激しさを伴った呼び方もありますが、何となくホッとする感覚の呼び方でもあります。
量にしても期間にしても「少し」の要素が含まれるものが「梅雨」ではないでしょうか。
「梅雨」らしい梅雨であってほしいですね。
生活の中で薄れている季節感は、せめて自然現象としては残っていてほしいと思うのは贅沢なのかもしれませんね。
ここまで自然環境を壊してきてしまったツケを払う段階に来ているのかもしれませんね。
戻すことは不可能なことでしょう。
変化させる方向を間違わないでいきたいですね。
昔の自然環境を知っている人たちの活動がカギのような気がしますが、自然を壊した恩恵を享受してきたのもこの人たちですので一種の自己否定になりますね。
難しいところだと思います。
長い梅雨は、いろんなことを考えさせてくれますね。
単に長いことを恨むのではなく、いい機会にしたいものです。