2015年3月24日火曜日

「知識」と「知恵」

人の知的能力を示す言葉で普段何気なく使っているものが、「知識」と「知恵」ではないでしょうか。

感覚としてはなんとなく使い分けをしているのですが、その違いには日本語の持っている基本的な感覚が潜んでいると思われます。

広辞苑的に調べてみますと、両者の違いは以下のようになるようです。

「知識」・・・ある事項について知っていること。 また、その内容
「知恵」・・・ものごとの理を悟り、適切に処理する能力

どうやら、「知識」<「知恵」の関係にあるようですね。


この二つの言葉で、知的活動についてのかなりの部分が説明できそうです。

また、この二つの言葉の違いを意識することで、知的活動をより効率的に行なうこともできそうです。


わかり易く置き換えてみましょう。

「知識」=インプット、「知恵」=アウトプットと言えるのではないでしょうか。


人に教わったり自ら調べたりして理解したことが「知識」になります。

その「知識」を使ったり組み合わせたりして、実際の生活や仕事に使うことが「知恵」になります。

実践と言われるのが「知恵」の方ですね。


では、「知恵」の前提として「知識」は絶対に必要なのでしょうか。

道具としての機能や使い方などの「知恵」となるための最低限の「知識」は、矢張り必要なこととなるのではないでしょうか。

義務教育の初期段階で行われていることが、まさしくこのための「知識」ではないでしょうか。


生きていくためには、それぞれの生きていく環境に応じた「知恵」が必要になります。

しかし、生きていく環境はすべての人が同じではありませし、環境は常に変化していくものです。

すべてを「知識」として持つことは不可能だと言えるでしょう。

あらゆる環境の変化に対応するためには「知識」を生かして「知恵」によって対応していかなければなりません。

そこでの経験が、また「知識」として蓄えられていくことになります。


学校教育のほとんどは「知識」を身につけることにあります。

したがって、学校での学習の効果を測るための試験においては、持っている知識を確認することとになります。

その時点までの学習において身につけるべき「知識」を、しっかりと持っているのかどうかということが試験の内容となります。

したがって、学生の間はどうしても「知識」の習得が中心になってしまい、その「知識」を「知恵」として活用する場が少ないことになります。


学校教育の本来の目的は、人として生きていくために必要な最低限の「知識」を身につける場です。

「知識」だけでは生きていくことは出来ません。

「知識」習得とその比べっこの中で生きてきた学生が、「知恵」を求められる社会に出ていった時に戸惑うのは当たり前のことなのです。


学生たちの就職の人気ランクを見ると、公務員や大企業が上位を占めています。

固定化した大きな組織であり、そこでの活動にはしっかりとしたルールや決まりごとが存在しているところです。

そこでのやり方やルールを「知識」として身につければ、ほとんど「知恵」を使うことなく学生と同じようなやり方で通用する環境にあると言えます。


「知恵」が求められる場面に出くわすと「教わっていない」などと平気で言い出す者は、「知識」だけで生きてこれた環境から抜け出せていないことになります。

あまりに多くの「知識」を持ってしまうと、「知識」だけでこなせることが多くなります。

知っていることや決められたこと、過去の経験と同じことを繰り返すだけで環境に応じた対応ができるようになってしまいます。

これは単に対応しているだけであって、適応しているわけではありません。


「知識」だけで対応できることが増えてしまうと「知恵」を使うことができなくなってしまいます。

「知恵」を使う前に「知識」だけで解決してしまおうとします。

その方が楽だからです。

「知恵」には実践が伴います。

実践は変化し続ける環境のなかで「知識」を生かすために行うことです。


結果として上手くいくこともあれば上手くいかないこともあります。

上手くいった時には、更に上手くいくはどうしたらいいのかが「知恵」になります。

上手くいかなかったときには、どうしたらうまくいくのか「知恵」になります。


「知恵」は新たな「意識」となって、今までの「知識」を強化していきます。

結果として、「知識」はどんどん書き換えられたりしながら増えていくことになります。

知らないうちに「知恵」ではなく「知識」だけで解決することが増えていきます。


変化し続ける環境のなかで、「知識」が「知識」のままでは通用しないことが多くなりますが、実践をしないとそのことが分かりません。

「知識」が増えると、頭の中で模擬的に実践をすることができてしまいます。

「知恵」を使ったような気になってしまうことがあります。

そこで書き換えられた「知識」は実践の結果を伴っていませんので、「知恵」としては通用しません。

こうして、気がついたころには現実的に使えるものではなくなっていきます。


「知識」が多いことが、「知恵」を使うことを邪魔することになるのです。

より多くの経験や「知識」を持っていることが、より多くの「知恵」を使う場面を失うことになるのです。


理想的には、最低限の「知識」を持ちながら、常に「知恵」を発揮することを意識していくことではないでしょうか。

良き師は、最低限の「知識」しか与えません。

そのかわり、「知恵」を発揮しなければならない場面をたくさん作りだします。

生きていくために必要なものは「知識」ではなく「知恵」であることをわかっているからです。


社会に出てからの生活や仕事においても、「知識」だけで解決してしまう場面が多くなっています。

それだけ変化の少ない環境となってきているのか、変化に対応する「知識」が身についてしまっているのだと思います。

過去の変化に対する対応の「知識」は、今の変化に対応するためには役に立たないことを理解しておく必要があります。

小さな環境においては、過去の対応の「知識」だけで解決できることもあるかもしれませんが、それは今の変化に対する最適な対応となっているのでしょうか。

より良い対応はないのでしょうか。

もう一つ大きな環境においては、それで適応できているのでしょうか。


今持っている「知識」で現実に対応してみることだけでも、「知恵」が生まれます。

通用することが分かればそのことも「知恵」としての積み重ねになります。

もっと上手くいかないかと考えることはさらに「知恵」を使うことになります。


「知恵」を使うことはそれだけで新しい「知識」を必要とすることにもなります。

単なる「知識」の習得はもういらないのです。

基本的な知識は十分に持っているのです。

実践としての「知恵」を使う場面を数多く経験することこそ、これから必要なことではないでしょうか。

その場面で「知識」で片づけてしまうことが無いように気を付けていれば、自然と環境に適応した生き方ができていくのではないでしょうか。


ある程度の年を取ってからの「知識」は、単なる知識として習得する必要はないと思います。

「知恵」を使っているうちに自然と「知識」が書き換えられ増えていくことになるはずです。

あらゆる場面で、常に「もっと上手くいかないか」と考えることこそ「知恵」の源泉ではないでしょうか。

ありったけの知識を使って、アウトプットをし続けていきませんか。





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