「母語」(ぼご)という言葉をご存知でしょうか?
よく母国語と間違われることがあります。
新聞やテレビでも間違えて使われていることがよくあります。
「母語」は、生まれてから4歳くらいまでの間に身につく言語でその人の生涯の基本言語となるもののことを言います。
母国語は、話者が国籍を持つ国で、「公用語」または「国語」とされている言語になります。
つまりは、国籍のある国の言語である母国語が、必ずしもその人の「母語」となっているとは限らないことになります。
国際結婚などの場合には、子どもの国籍を選ぶことが可能な場合もありますので、母国語と「母語」の違いがより鮮明になってきたりします。
人を言語の属性で考えた時に、母国語は意味をなさないことになりますので、最近では「母語」という考え方が主流になってきています。
この「母語」が、人の知的活動の原動力であることが分かってきています。
そして、いったん幼児期に習得された母語は、どんなことがあっても書き換えることができず、生涯にわたってその人の知的活動に大きな影響を与えることになります。
「母語」は伝承言語とも言われています。
それは、生まれた時から母親と生活していくことによって自然に身についてくる、母親から伝承される言語だからです。
したがって、母親の持っている言語以上のものが子どもの「母語」として習得されることは、よほど特殊な環境にない限りはあり得ないことになります。
また、「母語」を習得していく過程において、その「母語」をより聞き取りやすいように、より話しやすいように、また「母語」を使っての知的活動がしやすいように、脳を初めとした体の器官が発達していくことが分かっています。
生まれたばかりの赤ん坊は、どんな言語に対しても対応できるものを持っています。
それが、4歳くらいまでの間に「母語」を習得しながら発達していくことによって、人としての知的活動の基本的な感覚が決まっていくことになります。
幼児期のほとんどの感覚は、母親から伝わり習得していきます。
母親の持っている言語以外のものを子どもの「母語」にしようとすると大変なことをしなければなりません。
端的に行ってしまえば、母親との接触を避けて「母語」にしようとする言語の環境の中で育てなければならないからです。
さらに、幼児期の環境に多言語が存在すると、これも大変なことになります。
幼児は言語の区別がつきませんので、触れている言語のすべてを一つの言語として身につけてしまうからです。
言語は、それぞれの文化や歴史によって作り上げられて継承されている、独特のものです。
言語が異なれば、考え方だけではなく物事に対する感覚や感性までが違ってきます。
極端な場合は、同じものに対して正反対の感覚を持ってしまうこともあります。
決定的なのは、親の持っている言語の感覚と違った感覚を持ってしまうことになります。
しかも幼児に自分で言語を選択することは出来ませんので、親が意識して言語環境を整える必要があります。
かつて、ヘブライ語(イスラエル語)が死語となった時があります。
一部の人たちの間に、ユダヤ教の儀式のときだけに使われており、一般言語としては死語として扱われていました。
19世紀にロシアからパレスチナに移り住んだエリエゼル・ベン・イェフダーは、ヘブライ語を研究しておりました。
そして彼は、生まれた息子にヘブライ語を「母語」とするべく環境を作って教育をしてきました。
そして彼の息子であるベン・ツィオンは、2000年の年月を経たヘブライ語を「母語」として持った人物となりました。
その結果、現代でもヘブライ語は一般言語として存在し続けています。
毎年多くの言語が死語なっていますが、死語からよみがえった言語はヘブライ語だけだと言われています。
(参照:死語から蘇った言語)
「母語」は主に母親から伝承されたきわめて個人的な言語です。
大きな括りでは日本語という言語であったとしても、「母語」となっている日本語は一人ひとり異なったものであると言えるでしょう。
そのために、日本語としての共通語が必要になってきます。
それが「国語」です。
幼児期が終わって、義務教育になるころより様々な言語表現ができるようになります。
日本語を持った人間として生きていくための基本的なルールや知識は、共通語としての「国語」で身につけていかなければ、一人ひとり異なった解釈となってしまいます。
そのために、日本語の共通語としての「国語」で学習をしていくことになります。
「国語」のことを学習言語と呼んだりするのはそのためです。
その「国語」を理解するのが「母語」なのです。
人のすべての知的活動の基本にあるのが「母語」になります。
日本語は、他の言語から比べるときわめて特殊な言語と言えます。
その特徴は、他の先進文化圏の言語とは大きく異なったものとなっています。
欧米型の言語はその起源をほとんどがラテン語に持っており、さかのぼればギリシャ・ローマの言語になります。
言語の持っている感覚はそれぞれの言語で異なっていますが、それぞれの言語同士の違いには日本語ほどの大きな違いはありません。
日本語は日本民族だけの間で1500年を超える長い間、何の対外的な侵略も受けずに熟成してきた本当に特殊な言語なのです。
それ故に、日本語話者ならではの独特な知的活動が可能となっているのです。
「母語」として日本語を持っていることはとても素晴らしいことです。
「母語」についてはこのブログでもたくさん触れてきました。
ぜひ、カテゴリーとしての「母語」で見てみてください。
もっと「母語」について知っておきたいものです。