2015年1月4日日曜日

プラットホームとして日本語を考える

言語としての日本語については、様々な視点から見てくることができました。

その結果、世界の先進文化圏にある言語の中では、きわめて孤立した特徴が多いことがわかりました。

言語そものの考え方の基本になっていると思われる、自然とのかかわり方については、先進文化圏の言語よりも原住民族の言語との共通性が多いこともわかりました。

言語は文化そのものであり、その言語の特徴はその言語を使用する人間に現れます。


欧米型言語が中心となっている先進文化圏の中では、日本人が特殊に思われる理由の一つがここにあるのことがわかってきました。

それは、現実に使用されている言葉や文法と言った言語の構成要素ではなく、文化的な歴史によって継承されてきた言語の感覚に依るものであることがわかってきました。

また、現実的な言語の要素も、よく見ていくとすべてこの言語感覚の上に成り立っていることもわかってきました。


人はあらゆる知的活動を言語によって行っています。

人間が他の生き物と、決定的に異なるのは知的活動の質の高さです。

したがって、際立った特徴を持った言語を母語として持っていることは、知的活動の質や傾向についても他の言語を母語として持っている場合よりも、知的活動にはっきりとした違いが現れるものと思われます。

人間のあらゆる知的活動のプラットホームとして母語としての言語を置くことができるのではないでしょうか。


自然に対する捉え方や、神に対する考え方などがほとんど同じである欧米型言語であれば、その必要はないと思われます。

また、世界の公用語としての英語を母語に持つ場合にも、必要がないことだと思います。

世界の先進文化圏に属しながらも、その中心となる欧米型言語とは大きく異なる特徴を持つ日本語こそ、世界と日本を考えた時にプラットホームとして言語を捉えておく必要があるのではないでしょうか。


日本語が日本語圏のなかで使用されているうちは、言語を意識することも必要がないと思われます。

方言というものがありますが、方言を含めて日本語というカテゴリーになっており、言語感覚としては同じものであると言えます。

他の言語との交渉が行われる場合には、そうはいきません。

特に日本語が持っている独特な特徴である、実際の言語以外の感覚領域における共有性や、対象相手を含めた環境と自己との関係性などは、日本語の感覚だけでは大きな誤解を生むものとなっていきます。


日本語をプラットホームとして意識する必要があるのは、他の言語(特に英語)との間の感覚的な違いを理解しておかないと世界との交渉にならないからです。

私たち日本人は、あらゆることが日本語という母語によって考えられているために、基本的な物事に対する考え方が他の言語とは異なっています。

言語には、人としての在り方や生き方を示す考え方が、自然に感覚として継承されてきているのです。

したがって、言語が異なると人間としての基本感覚が微妙に異なってくるのです。

特に日本語は、世界の他の言語に比べると、地理的な背景や歴史的な背景によって一段と大きく異なったものとなっているのです。


2014年には、日本語の特徴をいろいろな面からとらえてみることを試みてきました。

その結果、日本語はきわめて特殊な言語であることがわかってきました。

しかも、日本語は世界では全く通用しない言語です。

世界のどんな機関においても、日本語が公用語となっている機関はありません。

日本人が世界で活動するためには、世界で表現するための言語を持たなければならないのです。

あるいは、正しく翻訳してもらえる機能を持たなければならないのです。


そのために英語を身につけようとすることは、決して無駄なことではありません。

一番手っ取り早い方法は、日本語の一部として、日本語でつかえる英語を身につけることです。


昨年、青色LEDの発明によって日本人の科学者がノーベル物理学賞を受賞しました。

彼らの英語が、たくさんテレビで流れました。

見事な、ジャパニーズ・イングリッシュでした。


日本語を母語とする者には、英語の本来の発音はできません。

日本語の持つ音の中で似たような音を発することでいいのです。

彼らの英語の語順は、見事に日本語でした。

日本語によって行なわれている知的活動であることが見事にわかる内容でした。


知的活動の一つである表現活動において、母語である日本語で理解した英語を使っているだけでした。

某米型言語は、口頭言語です。

口頭伝達に慣れていますので、聞くことにおいてはあらゆる推測をしながら受取って理解しようと努めます。

似たような音や、言い直しや繰り返しには慣れているのです。

ジャパニーズ・イングリッシュこそ、日本語という最高の知的活動の道具によって行われる、世界に対しての日本語志向の発信ではないでしょうか。


世界標準語を持たない日本語だからこそ、また、世界標準語から大きく異なる特徴を持っている日本語だからこそ、プラットホームという考え方が必要ではないでしょうか。

日本語で発信した個人的な内容が、あっという間に自動翻訳されて世界を走る環境です。

発信する側に内容責任があることは間違いありません。

自動翻訳の内容には、どこまで発信者の責任があるのでしょうか?

日本語は世界で一番表現力が豊かな言語です。

直訳的な機械的翻訳には向かない言語です。


少なくとも自分の発信している言語が、他の言語とどのように違っているのかを知っておく必要がありそうです。

今年は、プラットホームとしての日本語を意識しながら、さまざまな知的活動における、日本語だからおこる傾向や特徴を見ていきたいと思います。

そのことによって、さらに、日本語の特徴を鮮明にできるのではないかと思っています。


600日以上毎日更新してきたこのブログですが、2日間インフルエンザで寝込んでしまったために途絶えてしまいました。

生まれて初めてインフルエンザに感染しましたが、苦しいものですね。

あらためて、健康の大切さを痛感した正月でした。

じっくりと更新していきたいと思います。





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