それにもかかわらず、いまだに定説的なものすらないのが現状となっています。
そんな環境の中で、ここで真正面から日本語の起源について論じるには、あまりにも大それたことではあります。
それでも思いついた時がチャンスであると思っている自分としては、備忘録的に記録しておきたいと思いました。
日本の起源についても諸説あり、いまだに定まっていないのが現実です。
この後にどんな資料が出てこようとも、日本語の起源を特定することは困難だと思われます。
文字としての漢語が導入された以前に、話し言葉としての「古代やまとことば」があったことは間違いないことだと思われます。
「古代やまとことば」だけの時代には、記録する術がないのですから資料があるわけないのです。
せいぜい、文字が導入されてからの史料から想像することしかできないのではないのでしょうか。
ということは、専門家ではなくとも勝手な想像を巡らせ、発信することが許される環境にあるということになります。
正解があるわけではなく、論理的な精度を問われるわけでもなく、思いつくままに勝手に想像を巡らせることが可能となります。
そんなことで、日本語の起源について思いを巡らせてみました。
漢語の導入前に、話し言葉としての言語が存在していたことは想像に難くないことだと思われます。
その典型的な例が万葉集であり、そこに見ることができる万葉仮名です。
漢語の導入以前にあった話し言葉に対して、漢語という文字と音を利用して話し言葉を表記する方法を発明したのです。
伝聞も含めて、記録として残っている初期の史料からは、誰かが暗記していた内容を記述したものや、人に詠われていた内容を記述したものが多く見られます。
そこからも、文字を使用して記述することが可能になる以前に、話し言葉としての言語が存在していたことをうかがうことができます。
さて、歴史的な事象を検証しようとするときに必ず考慮しておかなければならない要素があります。
資料や記録の正確さももちろん重要ですが、それ以上に大切な要素があります。
しかも、それは他の事象を検証するためにとても役に立つことなのです。
それが、地形と気象です。
対象としたい年代によって、かなり正確なことまで調べることが可能です。
場合によっては限定された日付や時間における気象まで調べることが可能になっています。
地形や気象は絶対的なものです。
伝聞や文書による記録よりも、はるかに正確なものということができるのではないでしょうか。
人が道具や技術をそれほど持たなかった時代においては、生きていくための絶対的な条件ということができると思われます。
現代では知によってもたらされた技術によって、あらゆる地形や気象から身を守ることが可能になっているために、生存のための絶対条件としての存在を忘れていることが多くなっています。
「古代やまとことば」が誕生した時代は、縄文から弥生にかけてであろうと推測できます。
少なくとも、王の存在があったとされる以前のことだと思われます。
邪馬台国以前のこととなります。
邪馬台国の存在は、その真偽はともかくとして、中国の記録にも残っているものです。
この時代において中国はすでに文字を持っていたことが確認されています。
日本には、この時代に文字が存在した記録は残っていません。
その頃の日本の地形は、新大陸として日本列島がユーラシア大陸より離れて移動している時期です。
気候的には現在よりも寒く、海水面もはるかに高かったはずです。
それでも四季に近いものがあり、気候変動が激しい地域であったことが確認できます。
人類発祥の地と言われる、赤道近くの気候変化の少ない地域に比べると、生きていくのが大変な地域だったと思われます。
夏の暑さは日陰や水辺でしのげたとしても、冬の寒さは簡単にはしのげなかったと思われます。
人が生きてくことが可能なエリアは、日本列島の西の方に偏っていたと思われます。
ほとんど雪の降らない地域に限定されていたと思われます。
暑さ寒さをしのぐことにおいても、自然の地形の中を移動して利用することによって可能な範囲に限られていた事になります。
そんな中で唸り声とも叫び声ともいえないような最初の音が発せられたのが、母音の「う~」の籠ったような音ではないでしょうか。
一番自然に発せられる音です。
母音は自然発生的に発することができる音です。
口腔の使い方で「う、お、あ、え、い」の順番で音の出し方が難しくなっていきます。
意味のある言葉が使われるよりも以前には、少ない音であっても歌的にアクセントをつけたり伸ばしたり、動作や指で補ったりということで初期のコミュニケーションが取れるようになっていったと思われます。
男は狩りや作業を共同でやるようになるコミュニケーションが必要となりますが、女は子どもを守り育てるためのコミュニケーションが必要となります。
生きていくための中心は母性であり、母系を中心とした集団ではなかったかと思われます。
生活そのものが地形や天候に大きく依存していますが、自分たちでそれを変えることはほとんどできない状態です。
それでも、そうあって欲しい理想的な地形や天候はありますので、それを求めて移動をすることになります。
そこにはもちろん食料の要素も大きな意味で地形に含まれます。
場所は移動するができますが、天候は変えることができません。
地形によっても天候が変わりますので、日々の生活においては天候が一番大きな条件になります。
自分で変えられないもの対しては、任せて預けることしかできません。
そこで祈りが始まります。祈りはアクセントがついて歌になります。
祈りによって引き起こされたと感じられた変化は、何度も繰り返して使われるようになります。
歌として何度も同じように使われていくうちに、パターンとして定着していきます。
やがて生活の中にも、みんなで共通して何かを指し示す意味のある音が出てきます。
音にバリエーションが出てくると一気に使える音が増えてきます。
やがて共通音として、その音が示す物が固定化してきます。
そして初めて意味を持った音(ことば)ができてきたのではないでしょうか。
自然の音を言葉として聞くことができる日本語は、自然の中に生かされていることを感じていると共に、自然の変化の激しさや変化の兆しを感じ取る感性をもっているのではないでしょうか。
自分の意のままにならない天候でありながらも、その天候によって生きるための恵みを得ていることに対して「神」を感じていたのではないでしょうか。
その天候を左右する身近な存在としての地形である、山や谷・川などに「神」を感じていたのではないでしょうか。
「古代やまとことば」の起源は自然の中に感じている「神」への祈りの言葉ではなかったろうかと考えています。
もちろん集落におけるコミュニケーションとしての発展があったことは間違いのないことだと思います。
気候の変化の兆しを感じて、恵みを求めて祈りを歌う。
そこに使われた言葉は、自然の変化の兆しを感じて受取った自然からの言葉ではなかったのでしょうか。
現代日本語話者も母語としての日本語を持っている限りにおいては、自然の音を言葉として理解する感覚を持っています。
自然の音は、言語としての日本語が使っている音の特性からはかけ離れているものです。
(参照:周波数から見てみた言語)
常識で考えれば、言葉として聞き取ることは出来ない音のはずです。
にもかかわらずこんな事ができるのは、継承され続けた日本語の中の奥深いところに、この感覚がしっかりと残っているからだと思われます。
日本語は、言語が生まれた時からの言葉(音)を継承しているのではないでしょうか。
そこに、世界の王室からも尊敬されている、万世一系の皇位の継承と重なるものを感じるのは、共通する何かがあるように思うのですが。
このことについては改めて考えてみたいと思っています。
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