2014年11月11日火曜日

世界に向ける日本語

日本語が世界の言語の中では孤児的な存在となっており、他の言語との共通点がきわめて少ないことには、英語との比較を代表として何度も触れてきました。

また、母語話者としての人口や公用語とされている国や機関がないことから、世界に対しては通用しない言語であることも触れてきました。
(参照:日本語 vs 英語 など)

では、私たちは日本語では世界に対して発信することができないのでしょうか?

日本語で発信されたものは、世界では理解されないのでしょうか?


このブログ「日本語のチカラ」のユーザー数が全部で5,000を少し超えています。

そのうち日本以外のユーザー数が300を少し超えたところです、率にしたら6%程度と言ったところでしょう。

ページビュー(PV)においては、約15%が日本以外の国となっています。

リピートユーザーが多いということなんだと思います。

PVの中のセッション(実際に読みに来た数)では、このブログでの滞在時間が、日本と全く同じ時間になって平均で2分近くになっています。

ということは、確かに読んでくれていることになると思います。


このブログをgoogleで英語に翻訳されたものを読んでみましたが、はっきり言って何を言っているのかよくわかりませんでした。

日本人でもわかりにくいことが多く書かれているのに、それを直訳的に英語にしてもかえってわかりにくいものとなっているためと思われます。

ということは、日本以外の人もほとんどが日本語で読んでいることになるのではないでしょうか。

世界に散らばっている日本人なのかもしれませんし、日本語に興味のある外国人かもしれません。


もう少し英語を真剣に学んでおけばよかったなあと思うことがあります。

それは自分で英語を使いこなすことではありません。

直訳的な英語への翻訳は、私がどんなに頑張るよりもシステムの方が正確に決まっています。


私が学んでおきたかったかのは、英語に直訳したときに原意をきちんと理解してもらえる日本語での表現をしたいからです。

これからますますシステムによる自動翻訳の精度は上がってくるでしょう。

しかし、それは書かれている表現のルールに基づいて行われることであり、そこに込められた母語言語としての感覚は翻訳することができません。

直訳をするのならば、システムの方が人が介在するよりもずっと正確な翻訳ができるはずです。


本当に理解してもらいたいことを伝えるには、相手の持っているの母語の表現感覚に少しでも近づける必要があります。

私が学びたかったのは、母語としての英語話者に対して、どんな人が直訳的に翻訳しても原意がきちんと理解してもらえるような日本語表現なのです。

母語として日本語を持っている私たちは、日本語で表現したり日本語で考えたりすることで最高のアウトプットをすることが可能になります。

私たち自身は、日本語を使わないと最高の知的活動が発揮できないようになっているのです。


その結果を、世界の共通語・公用語である英語でどう表現するかは、英語を母語としない私たちにとっては困難な作業となります。

私たちにできることは、最高の力を発揮できる日本語での表現を工夫することによって、直訳的な英語になっても原意が理解してもらえるような日本語での表現をすることではないでしょうか。

そのためには、日本語と英語の表現の違いや言語感覚や受け取り方の違いを理解していないとできません。

文字言語の日本語と口頭言語の英語との違いも理解しておかなければならないでしょう。

日本語の表現ではそれが可能なのです。


おそらくは、世界の言語のなかで最も豊かで多彩な表現力を持つと思われる日本語だから可能なことだと思います。

その日本語のチカラを発揮すれば、それほど困難なことではないと思われます。

知的活動をするのに一番適した母語を使ってアウトプットをしていっていいのです。

わざわざ、知的活動の足を引っ張るような他の言語を使う必要がないのです。


最後のアウトプットとして表現することにおいてだけ、理解してもらいたい相手の母語に対しての配慮をしてあげるだけでいいのです。

その配慮も、自分の持っている母語の中でできるのです。

多くの言語に対して対応する必要はないと思われます。

世界の共通語・公用語である英語だけでいいのではないでしょうか。


そのうち、みんなが「これは、世界に対して発信された日本語表現だな。」と気がつくのではないでしょうか。

明らかに、日本語を母語とする人に対して向けられた表現とは異なってくると思われます。

とんでもなく豊富な表現力を持つ日本語だからできる技だと思います。


英語で日本語話者向けの表現をする方がはるかに難しいことだと思います。

また、彼らにはよほど日本に対する興味がある個人でもない限り、その必要はないでしょう。

彼らの母語自体が世界の共通語であり公用語であるのですから。

日本語は世界のどこにいても特殊言語であり、公用語となることはないでしょう。

その日本語を母語として持っていること自体が、強みでもあり弱みでもあるのです。


でも、母語は交換することも消すこともできません。

せっかく持っている母語としての日本語を一番生かせる方法で使っていきたいですね。

英語の学び方は、きっと変わっていくのではないかと思います。





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