2014年8月10日日曜日

「ことだま」への導き

「ことだま」の存在と領域については、誰もが意識していない日本語の特徴であることを述べてきました。
(参照:日本語の向こうにあるモノ(1)~(3)

文字のない時代の古代のやまとことばに、その力が大きかったであろうことは容易に想像できることではないでしょうか。

文字を持たなかった「古代やまとことば」は漢語の導入によって、消滅の危険にさらされていたと思われます。

国の仕組みや仏教の教えなど、国を運営する立場やエリートに属する人たちが新しい先進文化を取り込むために、積極的に漢語を取り込んだからです。

本国の文化に倣い、正史を漢語で残し、公用語としての漢語が浸透していきます。

漢語を身につけないと、中枢の場にいられませんので必死さを伺うことができます。


しかし、漢語の音は「古代やまとことば」と馴染まなかったのではないかと思われます。

すんなり馴染むようであれば、「古代やまとことば」はそのまま漢語に置き換わっていたはずです。

日本人の理解としては、文字はなくとも「古代やまとことば」に漢語を置き換える必要があったのではないでしょうか。

漢語の音は、現代では音読みと言われる音であり、導入された時代によっては漢音・呉音・唐音などがあったと思われます。

現代の私たちから見れば、漢語の読みはカタカナで表現した方がわかりやすいくらいで、「古代やまとことば」の流れを残るひらがなとはかなり違和感のあるモノとなっています。


文字と音で入ってきた漢語を、音しか持たない「古代やまとことば」に翻訳する作業が必要であったと思われます。

そのために漢語を利用して発明されたものが仮名ではないかと考えています。

したがって、漢語が導入されてから万葉集によって漢語を利用したやまとことばが記されるまでは、漢語は一般にはほとんど利用されない政治や仏教に関するエリートの間だけの言語だったと思われます。

その後においても、記録として残っているものが漢語で書かれているだけであり、エリートの間においても普段の生活での言葉は「やまとことば」であったであろうと推察されます。

現存する史料のほとんどが漢文で書かれているだけであり、実際に漢語を使いこなせた人はごくわずかであったのではないかと思われます。


それを表すものとして、勅撰集の存在があると思います。

万葉集は勅撰集とは認められていない私集として扱われています。

それ以前の史料としては、古事記(?)、日本書紀(720)、続日本紀(797)という漢文で書かれた史書と言われるものだけです。

日本書紀が平城京遷都後の10年で書かれており、続日本紀は平安京遷都後の5年で書かれたことからも、時代の背景がわかるのではないでしょう。


最初の勅撰集は漢詩集です、「凌雲新集」(凌雲集 814)であり、続いて「文化秀麗集」(818)、「経国集」(827)と続きますが、漢詩集はこの3集で終わりになります。

この後は漢詩ではなく和歌集として「古今和歌集」(905)以降の「新続古今和歌集」(1439)までの21集につながっていきます。


勅撰集として漢詩集が作られていた時代は、何とか漢語をものにしようとしていた時代であり、和歌集が作られ始めたころは「やまとことば」を書き表す方法が見つけられ、漢語とは異なる「古代やまとことば」から連なる言語体系が出来上がってきたころということができるのではないでしょうか。

和歌の表現形式とともに、文字を含む言語としての「やまとことば」を正式に表したものが「古今和歌集」となると思われます。

「古今和歌集」の序の部分が、漢文で書かれた「真名序」とできる限りの仮名で書かれた「仮名序」の両方が存在することにその証を見ることができるのではないでしょうか。


万葉集の成立年代ははっきりしません。

集められた歌も、長歌がほとんどなっており、古今和歌集との比較においても年代を特定することができなくなっています。

しかし、そこで試みられた漢語の音を利用して「やまとことば」の歌を文字で表現するという行為が、仮名の発展と「やまとことば」の伝承につながっていったことは間違いのないことだと思われます。


音として存在していた「古代やまとことば」が、仮名という文字を与えられたことによって、その表現の可能性を大きく飛躍させていったことは容易に想像できます。

その可能性の後を、「古今和歌集」以降の勅撰和歌集に見ることができます。

限られた文字数や表現形式のなかで磨かれていった表現技術は、短い言葉で無限の大きな空間や心情を表現するための方法を生んできました。

「古代やまとことば」が持っていた「ことだま」の領域を、さらに大きくする効果をもたらしたと思われます。


その中心的な技術である「掛詞」(かけことば)や「本歌取り」は、その多くの部分が「ことだま」とかかわっていると思われます。

一つの言葉としてのひらがなで記された文字からは、純粋な音が導かれます。

その純粋な音を共有するあらゆる「事」や「言」が、感覚としてつながってくる領域が「ことだま」ではないでしょうか。

現実の言語の向こう側にある領域へ導いてくれる音が、「やまとことば」の音ではないでしょうか。

この音は現代の「ひらがな」となって受け継がれています。


優れた和歌によって導かれる感覚は、書かれた文字の意味を離れて、現実とは離れた世界(領域)に連れて行かれるようなものではないでしょうか。

その場から作者を振り返ったときに初めて、詠み手と一体化した三十一文字の音で表現したかったものが見えてくるような気がします。

文字面の意味を解釈した理屈からは、いつまでたっても見えないものではないでしょうか。


和歌で培われた言語技術は今でも生きています。

歌の歌詞や標語などで、スッと受け入れられる言葉はひらがなの音で5音と7音の組み合わせです。

そのリズムと音は、言語を意識しない日常においてすら気持ちよさを伴って入ってきます。


もともと「ことだま」とつながっていたと思われる「古代やまとことば」は文字を持っていませんでした。

漢語という大変便利な言語が導入されても、「古代やまとことば」の音は侵略され切ることがありませんでした。

やがて、便利な言語である漢語を使って「古代やまとことば」を表記する文字を生み出します。

その文字と音を使った和歌の形態を利用して、新しい言葉を加えた「やまとことば」が出来上がっていきます。

これによって、「ことだま」とのつながりは、さらに強固になったのではないでしょうか。


新しい文明による侵攻や便利さの享受においては、漢字やカタカナ・アルファベットによって外来語対応や訳語を生み出してきました。

文字としてはこれだけ沢山の表現方法を持ちながら、音としてはひらがなの音だけしかもたない日本語は本当に面白い存在です。

そのひらがなに「ことだま」の領域との接点があることは間違いなさそうですね。




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