基本的な動作を表す言葉です。
現在使われている言葉のなかで、思いつく限りの漢字を挙げてみましょう。
取る、採る、撮る、捕る、執る、摂る、獲る、盗る、録る、などがありますね。
これらの漢字に共通する行為や動作が、「やまとことば」としての「とる」が持っていた意味となります。
なんとなく感覚としてわかる気がしませんか。
それぞれの漢字が持っている「とる」の意味はその一部を具体的に表したものであるということが言えます。
漢語は導入当時の世界最先端の文明を誇っていた国の言語です。
文明のレベルが上がれば上がるほど、詳細な表現が必要になり、様々なことについての区分がどんどん細かくなっていきますので、言葉が増えることになります。
日本が最初に触れた大きな文明が中国の文明です。
その後、明治維新で産業革命を経験したヨーロッパの文明に触れて、大量の言葉を導入し、それに対応する日本語としての新しい言葉を漢字で作ってきました。
さらには、太平洋戦争後はアメリカの近代文明に触れることによって、新しい言葉を増やしていきました。
言語においては、語彙(言葉)は非常に開放的で新しい言葉をどんどん取り入れながら変化していきます。
文法においては、ほとんど変わることなく新しい言葉を、そのルールに基づいて使っていきます。
漢字の音読みは、漢語としてもともと持っていた音が基本となっています。
漢字の訓読みについては、もともと「やまとことば」として持っていた音と広い意味に対して、のちの文明で導入した具体的なものを当てはめたものと言うことができます。
現代の日本語における品詞の割合は、名詞が圧倒的に多くなっており80%程度と言われていますが、実際に日本語の品詞を調べたものはありません。
特定の書物における品詞数を調べたものは残っていますが、書物の内容によっては大きくその割合が異なっていたりしています。
ひとつの目安として「新選国語辞典」(小学館)の収録語数見てみると、名詞が82%、動詞が9%、副詞が3%、形容動詞が2%、形容詞が1%となっているようです。
文化度が上がれば上がるほど、各分野における研究が進めば進むほど、より細分化された表現が必要になってきますので、名詞はどんどん増えていきます。
増えていきながらも、死語として使わなくなっていく名詞も出てきますので、入れ替わりながらも全体として増えていっていることになります。
それに比較すると、新しい動詞が増えることはほとんどありません。
全く新しい動詞が現れることはほとんどなく、それまでは名詞や形容詞として使用していた言葉が動詞化することがあるくらいです。
「ふぶく」(吹雪く)という言葉は「ふぶき」(吹雪)という名詞が山岳関係者の間で吹雪になると言う意味で使われていたことがもとになってできた動詞です。
今では一般的な動詞として使用されていますよね。
新しくできる動詞は、基本的な行為や動作は共通しながらも、より具体的な行為や特殊性を強調するために訓読みの漢字を作ることから成り立っているようです。
「とる」と言う基本動作とその音がふさわしかった「採用する」と言う意味の「とる」に「採る」を充てる様なものです。
音としての動詞の「とる」に変わりはないのですが、文字としてより具体性を持たせるために漢字の意味を利用した動詞の表記方法であるということができます。
「やまとことば」としての本来持っている意味を感じるためには、ひらがな表記の方がつかみやすい場合も多くあります。
「においをとる」と言ったばあには「とる」にはどんな漢字を当てはめるのでしょうか。
この「とる」には先ほどの漢字には当てはまらない、消し去るという意味もあることがわかりますね。
「取り消す」という言葉がありますので、敢えて漢字にすると「取る」になるのでしょうか。
また、「におい」を「臭い」とした場合には消し去る感じになるかもしれませんが、「匂い」としたらどうなるでしょうか。
いい匂いとして「採る」という感覚になるかもしれませんね。
「においをとる」には「臭いを取る」もあれば「匂いを採る」もありだということになります。
曖昧さと言うこともできますし、広がりと言うこともできます。
同じ訓読みを持つ漢字を並べることによって、もとの「やまとことば」としての感覚を感じ取ることも可能になっています。
どの漢字による「とる」も音としてはすべて同じになります。
話し言葉としては「やまとことば」の感覚が残ったものとなっているはずですね。
キーボード入力の変換機能によって、簡単に漢字にすることができるようになってしまいました。
昔の文章よりもずっと漢字の多い文章に触れることが増えています。
たまには、敢えてひらがなを使ってみることによって「やまとことば」の感覚を感じることをしてみてるのもいいのではないでしょうか。
漢字ばかりで逃げ場のないような表現から、広がりを持ったゆとりある表現が感じられることでしょう。
同じ言葉であっても、漢字で表現するのとひらがなで表現するのでは、感じ方が異なります。
正確さや厳密さを求めると漢字が多くなります。
広がりや奥深さを求めるとひらがなが多くなります。
さらには、ひらがなには和歌で磨かれた技術としての多義性や相反することを同時に表現することも可能になってきます。
漢字かな混淆文は、あらゆる表現が可能な文体になっているのではないでしょうか。
記憶に残る素晴らしい文章は、皆ひらがなの使い方が上手なものが多いです。
ふりがなひとつでもひらがなの使い方です。
漢字だらけの文章で、気持ちのゆとりを失わないようにしたいですね。
ブログの内容についてのご相談・お問合せを無料でお受けしています。
お気軽にご連絡ください。