専門家というのは、その分野における言葉をより多く持っている者であることを確認することもできるのではないでしょうか。
知的活動におけるそれぞれの活動が、「書くこと」によって自分自身で磨いていくことができるようです。
自分でやってみると、さらにその効率のよさに驚かされます。
知的活動は、3つの活動によって構成され、認知活動→思考活動→表現活動の順番でその能力を身につけていきます。
それぞれの活動において、その基本的な力を身につけるための言語が決まっており、習得した言語での活動を行なうことが一番効率のいいこととなっています。
認知活動のための能力は伝承言語である「母語」を中心に身につけてきました。
したがって、認知活動は「母語」で行うことが一番効率が良いことになります。
また、思考活動については学習言語である「国語」を中心に身につけてきました。
したがって、思考活動は「国語」で行なうことが一番なじみやすくなっています。
さらに、表現活動は学校教育においてはほとんど身についていません。
つまりは、習得できていないに等しいのです。
大学や社会において必要に迫られて表現をしているだけであり、作家や演出家などの表現することの専門的な職業の人でない限り表現するための言語技術を真剣に身につけた人はいないと言えます。
知的活動の最終結果としてのアウトプットに一番必要な力が表現技術です。
人に理解してもらうために一番必要な技術が表現技術です。
平均的な日本人においては一番身についていない言語技術が表現技術になります。
認知活動や思考活動は自分の内部での個人的な活動です。
一部で共有するための活動もありますが、基本的には自分自身だけでしかわからない言語でも可能な活動です。
しかし、表現活動は相手に伝えるための活動であり、自分の言語だけでは伝えることができません。
表現することに慣れていない場合は、人に伝えるための表現をすることが大変難しく感じます。
当たり前のことなのです。
思考に使っている言語をそのまま表現しても伝わらない現実は、多くの人が経験していることだと思います。
同じ日本語の中ではありますが、相手に伝えるためには相手の持っている日本語への翻訳の作業が必要になるのです。
それぞれの人の持っている言語は、母語(伝承言語)、国語(学習言語)、生活語(環境言語)で成り立っています。
多くの人に共通な言語は義務教育として共通理解をするために身につけた「国語」だけです。
しかも実際の生活の中では、環境言語が占める割合が日ごとに大きくなっていきます。
これらの言語の中でも、母語は母親から継承したきわめて個人的な言語です。
生活語は社会生活におけるそれぞれの環境における共通語となりますが、環境や専門性が異なると大きく異なってしまう一部の集団のみに通用する言語です。
相手の環境や言語がわからない場合でも、伝えなければいけないときに頼れる言語は国語以外にないのです。
キーボードを使わないで紙やボードに文字を書くことが知的活動を一番刺激する方法です。
それは日本語の中でも意味を作っている文字である漢字が表意文字だからです。
音に意味があるひらがなと比較すると、文字そのものに意味があるものだからです。
日々使用されている文字のなかで、表意文字は世界の中でも漢字だけだと言われています。
他の国の他の言語を使う人たちが何を言おうと関係ないのです、日本人は日本語を書いて認知し思考し表現することが一番効率のいい知的活動につながるのです。
(参照:日本語の特性を生かした「書く」技術)
話し言葉はフローです。
次から次へと流れていきます。
瞬間瞬間で消えていってしまいます。
掴みそこなったら取り返しができません。
文字はストックです。
そこに存在し続けます。
書いたことは安心して忘れることができます。
違うことに知的活動を使うことができます。
漢字を書くことで、視覚から文字が入ってきます。
ほとんどの場合は熟語を書くことになるでしょう。
複数の漢字から出来上がっている言葉です。
一文字一文字の漢字に意味がありますから、見ているだけで自然といろいろな関連情報が引き出されます。
これが思考活動を刺激して、持っている知識を様々な形で結びつけていきます。
その結びつきを阻害しているものが、既成の固定概念です。
これを外すことができると、あらゆるものが抵抗なく結び付き始めます。
それこそ、現実味のない結びつきまで簡単に起きてしまいます。
持っている固定概念や常識のなかで、それはあり得ないとして排除してしまっているだけのことです。
認知活動を補助するためにも、思考活動を補助するためにも文字を書くことは素晴らしいサポートをしてくれます。
漢字を手で書いている行為そのものが、既に知的活動になっているのです。
キーボードを打っていてはこの効果は望めません。
文字入力ができると、少しは違ってくるかもしれませんね。
最後の表現活動は、まさしく書くことそのものです。
まずは、自分で伝えたいことを自分の言葉で一気に書き出すことがスタートです。
そこから、伝えるための本当の表現活動が始まります。
誰に伝えるのか、何を伝えるのか、伝わったらどうしてほしいのか、それぞれをどう表現したらいいのかを知的活動として行ないます。
まず書き出したものを認知します。
次にそれが目的を達するためにはどうしたらいいかを思考します。
そしてて新たに文字や文章にしたり、修正したりして表現します。
認知活動や思考活動において文字を書いている行為は、自分の知的活動のための補助行為です。
表現するときの文字を書いている行為は、相手に伝えるための相手言語または国語への翻訳行為です。
時には、認知活動でも共同作業による認知の共有のために文字にすることもあるでしょう。
思考活動においても、思考の共有が必要なこともあるでしょう。
一人で行っている知的活動の時には気にしなくてもよかった相手の言語に対する理解が、共有する場面では必要になってきます。
知らないうちに「国語」で共有していることも少なくないなずです。
話し言葉では流れていってしまい、共有するには不向きです。
同じ言葉であっても、一人ひとりが持っている意味が違うことも多々あります。
結果として、文字を書くことが一番効率のいい知的活動につながっているようです。
なるべくキーボードを打たないで、手で文字を書いて知的活動を刺激してみましょう。
思わぬ何かが生まれてくるかもしれないですね。
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