2014年2月17日月曜日

外国の言語教育(3)・・・フランス

第3回目の今回はフランスの言語教育についてです。

まずは、アメリカ、イギリスと同じように義務教育について見てみましょう。

国の法律である教育法典によって義務教育が規定されています。

6歳になる年齢(5歳の間)に義務教育の学年度が始まります。
初等教育5年(6~11歳)、中等教育5年(11~16歳)の10年間が義務教育となっています。




1960年にそれまでエリート教育であった中等教育が庶民階級に開かれ、その後義務教育化されました。
その時から、読み方、書き方、話し方を中心に言語運用能力の低下が大きな社会問題となってきました。

学習能力の基準である国語能力の大衆化によって、中等教育そのものが「言語と文学」から随筆、新聞記事、漫画などへの大衆化となりました。


義務教育以前の幼稚園の最終学年との連携がしっかりとなされており、初等教育就学前の1年間を含めた6年間を3年間ずつに分けた学習体制となっています。

前半の3年間を「基礎学習期」とし、後半の3年間を「深化学習期」としています。

初等教育の1年生は準備級とも呼ばれており、フランス語の読み書きを徹底して学ぶ時期となっています。
移民が多いために初等教育の最初に、学習言語としてのフランス語の読み書きを覚える必要があるからです。





フランスの国語教育の目的は、「言語の習得」と「教養の養成」を追求することにあります。

「言語の習得」においては、フランス語そのものが明確な学習「対象」であり、正確な綴り字と文法を身に付け、共通の言語規範を使いこなし、国民統合に寄与することが求められています。

「教養の養成」においては、国語は学習「手段」であり、文学作品を通じて人文主義的教養を身に付け、繊細で高尚な感性と美的感覚を発達させることが目指されています。

他の国の国語科に比べると、文学的な教養を重視する教育になっているということが言えるようです。


これらの目的を達成するための象徴的な学習方法が、文学テキストの「書き取り」です。
読み書きの規範的モデルとしての美しい文章のテキストを書き取り暗記することで、洗練された言語様式と表現を意識の中に刻み込む指導をします。

そのため、「言語と文学」の相互依存ともいえる状況が長らく続いてきました。

中等教育の大衆化によって純文学以外の作品も教科書に掲載させるようになり、漫画などを含めたジャンルの多様化がどんどん進みます。

また情報化の影響もあり、言語によるコミュニケーションと表現が主要な教育目標として掲げられるようになっていきました。

伝統的な教授方法であった「講義、応用練習、教師による添削」というやり方にも改革のメスが入っていきました。
授業参画を前提とするプロジェクト型の教授法が開発されたことで、生徒は独創性を促進する状況的問題に取り組み、グループで対話することによって、書き言葉および話し言葉の効果的な使用と操作を身に付けつけるようになっていったのです。




それでも、義務教育(小・中学校)段階に比べると、3年制(15~18歳)の高等学校における国語教育では依然として「国語と文学との連結」が根強く残っているようです。


フランスの義務教育の進級は世界一厳しいと言われており、小学校1年生から落第があります。

国語科の教科書は学校ごとの自由選択となっており、その教科書自体が国語科だけでも100種類くらい出回っているようです。

教科書の発行には、日本のような国による検閲はありません。
出版社が自由に発行できるようになっています。

教科書をどのように使うか、使わないことも含めて教師に任せられているところが多いようです。

ほとんどの小学校で「レ・ミゼラブル」を使ってフランスの苦難の時代のことを学ぶようです。


フランスには、高等教育機関である大学等の進学においては「バカロレア」と言われる国家試験で入学資格を取らなければなりません。

「バカロレア」を取得すれば原則どこの大学にでも入学できますが、入学定員を超えた場合には「バカロレア」の成績や居住地などに応じて入学できる大学が決まるようです。

「バカロレア」の種類も3種類あり、さらにその中でもさらに細分化されているものあります。

取得者は受験者の60%程度だと言われていましたが、現在では一般的な取得しやすい分野を受ける人が増えたこともあり80%程度だと言われています。

しかし、垣間見るその問題は、絶対的な正解のない記述式または口述式のものばかりであり、読解力の上に立った言語表現力が大前提となっています。
もちろん選択式などありません。

インプットされた知識や情報はすべてアウトプットのためにあるという根本原則に沿った試験ですね。


日本の場合は、アウトプットよりも溜め込まれている知識や情報を重視する傾向があり、必ずあると思われる正解を探す能力が求められているようです。

自らの主張を表現することを重視する彼らは、正解を探すことよりも自分の考えていることを表現するための技術を身につけることが生きていくために必要なことだとしているのですね。

明治以降100年程度で急成長を遂げた日本にとっては、見本となる正解があらゆる国に存在していました。
それをいかに早く学ぶかが一番求められた能力だったのです。


フランスの国語教育には、厳しい環境に会いながらも自らの考えを発信し、より多くの人の賛同を得ながら成し遂げた革命の歴史が見えるような気がしました。