2013年11月4日月曜日

虎の巻を見てみよう

何かを習得するときや受験生の参考書などでなじみの言葉に「虎の巻(トラの巻)」というのがあります。

大事な秘密が記録された巻物を、虎が見張っているようなイメージを勝手に持っていましたが、いろんな意味で虎の巻が欲しくなってきました。

この「虎の巻」の出典について見てみようと思いました。



二つの説を見つけることができましたので、ご紹介します。

一つ目は中国の兵法書のひとつである「六韜(りくとう)」が出典であるというものです。

この書の中に「文、武、龍、虎、豹、犬」という六巻があります。
このうちの一巻である「虎巻(こかん)」からきているというものです。

これは漢語を「やまとことば」読みにして和語としている例になります。


二つ目の説は、日本の修験者(山伏)が修行のための書を「トラの巻」と読んでいたことから始まっているというものです。
このことから、
武術や学術などの修行者が参考にする指導書のことを「トラの巻」と呼ぶようになったとされます。

現代の用法から見ると、修験者と受験者や修行者との類似性から後者の方の由来があっていそうな気がしますけど、実証はありませんね。


では、なぜ修験者が持つ修行用の教えの書を「トラの巻」と呼ぶようになったのでしょう。

トラという動物はそもそも日本にはいなかった動物です。
江戸時代の狩野派の襖絵や、伊藤若冲の絵画でも想像上の生き物として描かれています。

トラという言葉は「やまとことば」にはなかったと思われますので、「トラの巻」自体が外来語である可能性が高いと思われます。

漢語だとすれば「虎巻(こかん)」となるはずです。

中国から来たものではない外来語だろうということから、得意の想像を膨らませたいと思います。



日本には古くから山岳信仰があります。
神社、神道と密接に関わりがあると思われますが、その山岳信仰をつかさどる行者のことを山伏と読んでいます。

中国やインドでは僧の修業はありますが、山岳信仰に基づく山伏のようなものを見ることはできないようです。

日本の古代神教であろうと思われます。


私たちの知っている典型的な山伏は、あの赤い顔の鼻の高い天狗です。
額に小さな箱をつけてほら貝を吹く、髪は白か黄金色が多いですね。

口で説明しただけでもそうですが、天狗の絵などを見せるとすぐに「あっ、イスラエル人だ。」と気づく人はかなりいるようです。

日本に長く滞在し、アメリカ人でありながらユダヤの研究や書物をたくさん出しているマービン・トケイヤー氏は、初めて京都で山伏を見たときにその姿かたちがあまりにユダヤ的で衝撃を受けたそうです。

「頭に付けている物はユダヤの人が付ける‘フィラクテリー’にそっくりだ」。
さらに、
「法螺貝はユダヤ人が祭りのときに吹くショーファールと言う笛に似ている。この笛は羊の角から作られている。日本には羊が居なかったのでねじれた角に似ている法螺貝を使ったのだろう」と言い、
「山伏の衣装の袖にある房と、胸当てもイスラエルの祭司の衣装に良く似ている」と言っています。


そしてもう一つ、山伏の出で立ちに欠くことができないものがあります。
天狗が手に持っている巻物、「トラの巻」です。

かつての古代イスラエル人は、シナイ山で神から「トーラの巻物」を授かったとされています。

山伏は天狗から巻物を授かったと言います。

天狗がイスラエル人だと仮定すればその巻物は「トーラの巻物」と読んで差支えないのではないでしょうか。

当時では「トーラ」を置き換える「やまとことば」がなかったために、外来語としてそのまま採り入れて使ったのではないでしょうか。

やがて中国から虎という動物がいるということが伝わると、その音によって「トーラ」が「虎」に変化していったのではないかと思われます。


「虎の巻」の由来としては後者の方に軍配を上げたくなるのは、私だけではなさそうですね。

日本語を母語ととして持つ私たちが直感で判断しても「やまとことば」と思えない言葉はたくさんあります。
しかも、
古くから使われていて最近の外来語とも思えない言葉があります。

そのなかに「トーラ」と同じような歴史を持つものが少なくない気がします。

青森や弘前のねぷた祭りの掛け声は、私たちには単なる掛け声にしか聞こえませんが、イスラエル人にはそのままで意味がある言葉として理解できるのだそうです。


たぶん私たちはそんな言葉も含めて「やまとことば」と思っているのでしょうね。

深いですね、日本語は。

もっともっと知りたくなります。