2013年11月1日金曜日

日本の言語教育の特徴

先回は欧米の言語教育に触れてみました。
クリティカル・シンキング(批判的思考)が根底にあるとされていますが、その上に言語技術を身につけるための教育があります。
 
インプット(聞くこと、読むこと)-思考(考えること)ーアウトプット(話すこと、書くこと)という情報の流れの沿った内容によって、年齢やレベルに応じながらスパイラルアップしていきます。

小学校の低学年ころより、持っている言葉のレベルでのアウトプットまでを行いますので、インプットからアウトプットまでを一貫して身につけて行きます。
極めて論理的に出来上がっていると思われます。



日本語において同じことをやろうとすると、言語上の特徴からできないことが発生します。
インプットにおける基本技術である「聞くこと」と「読むこと」が、同時進行できないのです。
また、
アウトプットにおける「話すこと」と「書くこと」が同じように同時進行できないのです。
日本語の言語技術の教育が、欧米言語に比べて特殊にならざるを得ない理由がここにあります。

それは、「聞くこと」「話すこと」の口語においては「ひらがな」さえあれば、教育も実際のコミュニケーションンも可能です。
ところが、
「読むこと」「書くこと」の文語については、「ひらがな」に加えて「漢字」「カタカナ」「アルファベット」というものが出てきます。

インプット技術である「聞くこと」と「読むこと」とが同時進行できないのです。
アウトプット技術である「話すこと」と「書くこと」が同時進行できないのです。

日本の言語教育は「聞くこと・話すこと」「書くこと」「読むこと」という内容に区分されています。
そして、
「ひらがな」「漢字」「カタカナ」「アルファベット」の4種類の文字を習得しなければならないので、欧米言語の習得よりも「読むこと」「書くこと」に対しての多く時間を必要とします。


欧米の言語教育ではインプットー思考ーアウトプットのサイクルを、小学校の低学年から行うことができますが、日本の言語教育では小学校の中学年までは文字を覚えることが中心となります。
主な物だけでも「ひらがな」と「漢字」があります。
ほとんど2か国語を同時に習得する程度の時間と能力が必要になるのではないでしょうか。


一通りの文字の習得を終えた後は、受験対策としての学習が続きます。
そこで求められている能力は読解と漢字の書き取りが中心です。
筆記試験がほとんであるために、「聞くこと・話すこと」が試されることがほとんどありません。

結果として、日本における言語教育では「聞くこと・話すこと」の技術を習得する機会がなくなるのです。

日本における言語教育は、言語という道具の習得には時間をかけて取り組んでいますが、身につけた道具の使い方については分からないまま社会に出ていくことになります。
 

もう一つの日本語教育の特徴を上げると、欧米と比較すると思考そのものについての技術教育がないことが挙げられます。
欧米は言語教育の前提にギリシャ・ローマ時代よりつづくキリスト教的な画一的思考(クリティカル・シンキング)があります。

日本にも宗教的な色はないものの、自然と一体化した人道的な思考があると思われますが、欧米ほど明確ではありません。
かつては道徳という授業もありましたが、今では思考についての技術は個人で習得する以外はない状況です。

ほとんどの人は学校教育において思考の技術について触れることすらありませんので、個人で気づき習得していかないと思考が磨かれることはありません。
ところが、
文語における文字の種類の多さも原因として、他の言語と比較したら無限であるとも言える量の表現言語を持っています。

思考は言語でなされます。
言語の限界が思考の限界です。
思考技術を学ばなくとも、日本語を母語・第一言語するだけてきわめて多様な思考が可能になるのです。
ただし、
個人としては思考の技術を学んでいませんので、言語を持てあますことになります。

 

何かのきっかけで、自分の感性に触れるような考え方に出会うと、すぐに感化されてしまう傾向が見受けられるのも日本人の特徴の一つです。
学生の間は思考的な技術については、ほとんど学んでこなかった者が、会社という一つの宗教に触れたとき、感化される可能性は高いと思われます。

かつてはこれがいい方向へ向かっていったこともあると思われますが、これだけ多様性が認められるようになってくると難しいですね。
 

欧米の論理の現実的な言語技術としての素晴らしさと、日本語の特徴を組み合わせたものが最強ではないでしょうか。

私たちは、すでにそれぞれの日本語を身につけて使っています。
理解してもらうためには、無限の日本語表現から「現代やまとことば」を使うといいこともわかってきました。

この「現代やまとことば」でインプットー思考ーアウトプットを回すとどうなるでしょうか。
私たちはインプットを中心に教育を受けてきていますので、アウトプットとが苦手です。
アウトプットと言ってもどうしたらいいのか分からない人もたくさんいると思います。

欧米にならってみましょうか。

アウトプット=「話すこと」「書くこと」
相手がいればアウトプットの目的のはっきりしますが、日記でもいいのではないでしょうか。

インプットー思考ーアウトプットのサイクルを回してみましょうか。