2013年10月5日土曜日

言語習得の段階とその環境(4)

先回は聞くこと・話すことについての環境がいかに整っていないかについて触れてみました。
今回は見方によってはさらにその上位の位置づけとも言える表現することについて考えてみます。



上の図は(1)でもお見せした、マズローの5段階に言語の習得過程を重ねたものです。

学習言語の習得段階までは、学校という極めて限られた社会の中で教わることのみを吸収していくインプットの段階と言えるでしょう。
欲求の段階に照らしても、帰属の欲求の段階であり、学校やクラスという組織に帰属し同化するために受け入れることが主体となります。

次の段階は承認の欲求となり、学校やクラスの中で組織の一員としての自分の存在を認めてもらいたくなります。
そのためには受け入れることとと同時に、自らの存在を知らしめるために発信し話すことが必要になります。

学習言語によって蓄えたインプットをさらに強化しながら、アウトプットをしていかなければならなくなります。
コミュニケーションのための聞くこと話すことの習得が必要になりますが、(3)で見てきたようにそのための環境は決して整っているとは言い難いところです。


そのために自己実現の欲求を満たすために必要な表現することを習得するための環境は、さらに限られたものとなっています。

表現すること自体を職業とするための専門学校や課程を選択しない限り、学校教育で表現することを習得する機会はほとんどないと言っていいでしょう。
ましてや義務教育の中においては、表現をするための言語を学習することはほとんど不可能と言えるでしょう。

学校のよっては落研(落語研究会)や演劇部などで学ぶ機会が得られることもありますが、授業としてのカリキュラムの中では難しいこととなっています。



表現することと言うとプレゼンテーションを思い浮かべる人も多いかと思います。
表現するためのテクニックとしてはプレゼンテーションは大いに参考になるところがあります。

ここで言っている表現することは、自己実現のための自分の考えや意見を自分の言葉で、さらに伝えるべき相手に合わせてアレンジしながら伝えることです。

説得すること、納得させること、共感させることではないのです。
理解してもらうことなのです。

それに対しての批判や同調は、理解した後で行われる受け手の判断です。
そのために、自分の考えや意見を精確に伝えなければなりません。
そのためには、受け手の理解の度合いを確認しながら、表現の仕方をアレンジしなければいけません。

一方的なプレゼンテーションとは全く異なるコミュニケーションの方法です。



目的は精確に伝えることです。
精確に伝わったことを確認することです。

会話をしながら精確に伝わっているかどうかを確認できる人数は、5人までが限界だという実験データがあります。
そのための訓練を専門的に受けた者でも8人までが限界だとされています。

この結果は、クリエイティブな内容を検討する会議体として一番効率がいいとされている人数と一致します。
また、これらのデータは日本語を使用したものではないので、日本語で表現した場合には同じになるのか、あるいは日本語の特徴として変化するのかは興味のあるところです。


精確に理解をしてもらうための表現を学習することは、自分で意識して行うことでしかできません。
精確に理解してもらうためには、何度も何度も相手に確認をしなければいけません。
そのためには聞くことが必要になります。

聞き方を身につけなければいけません。


私たちは、ほとんどの場合、一方的に伝えて精確に理解してもらえるだけの表現を持っていません。
受け手の理解度を把握しながら、言い方を変えてみたり、見せ方を変えてみたりしなければなりません。

その時の最後の落としどころが「やまとことば」になるのではないでしょうか。
古代の「やまとことば」ではなく、ひらがな言葉として表すことができる「現代やまことば」こそが共通言語ではないかと思います。

母語として日本語を持っている限りは、どんな分野の人であっても理解できるもの、それが「現代やまとことば」だと思います。




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