まうことがあります。
同音異義文とでも呼べばいいのでしょうか。
代表的な物が「ぎなた読み(ぎなた文)」と言われるものです。
「弁慶がなぎなたもって」というものです。
読点である「、」を使って読み分けをしてみます。
「弁慶が、なぎなたもって」、弁慶が「なぎなた」というものをもってという意味になります。
これを口語的に「弁慶がな」で区切るとどうなるでしょうか。
「弁慶がな、ぎなたもって」、弁慶が「ぎなた」という聞きなれないものをもってという意味になりま
す。
この「ぎなた」を取って「ぎなと読み」と言っています。
マルチ商法が流行っていたころある会社で、マルチ商法にだまされた人たちのための法律相談を
することになりました。
その時に会社で配られたチラシに以下のような文言がありました。
「会社でだまされた人を救う」
相談に来た人の何人かは思い切り会社の不満を述べに来たそうです。
むかしから例に出されるものは「美しき水車小屋の娘」というのがあります。
美しいのは水車小屋なのか、娘なのかわかりません。
いくら前後の文脈から類推するといっても、もう少しはっきりとした言い方はできます。
しかし、決して日本語の使い方が間違っているわけではありません。
「美しき」が水車小屋にかかる場合と、娘にかかる場合とが両方考えることができるからですね。
通常は修飾する言葉は次にくる名詞を修飾するのが一般的です。
ところが一つの文章に修飾される名詞が複数出てきてしまうと、どちらを修飾するのかわかりにくく
なってしまいます。
「ぎなた読み」については口語の読み方で、区切りが変わりますので、読み方を指定するために読
点を使えば間違いはなくなります。
「美しき水車小屋の娘」はどちらかの意味を限定したくとも、読みでも文でも限定できません。
一文で限定するには読点を使いながら
「美しき水車小屋、そこの娘」、とするかまたは語順を入れ替えて「水車小屋の美しき娘」とすること
になります。
「美しき水車小屋の娘」は書かれた文字でも、読まれた文でも全く同じになりますので、発信するほ
うが気をつけなくてはいけないですね。
特に話し言葉として伝えるときは、目で確認できないことと戻って確認できないことが大きなハンデ
となりますので、注意が必要になります。
具体的には、書くときよりも一つの文を短くして、接続詞をうまく使うことですね。
一つの文にたくさんの修飾する言葉(形容詞)と修飾される言葉(名詞)が出てくると、何のことだか
わからなくなります。
分り易い話をされる人は、言葉の選び方も上手ですが、一文が短いです。
そしてゆっくりと間を取って、「だから」「しかし」「でも」「そして」「つぎは」「さらに」「反対に」「なぜな
ら」などを上手に使います。
接続詞をうまく使うと、次の文が想像できます。
前のことにに対しての、肯定なのか否定なのか、並列なのか従属なのかの関係が前もって準備で
きるからです。
すると次に入ってくる内容が受け入れやすくなりますね。
接続詞にも語感があります。
否定的な語感は、聞いている人を身構えさせることになります。
否定的な語感が多いと、共感を得られにくくなります。
語順と同時に気をつけたいところですね。
このようなことを日本語の曖昧さとして欠陥・短所として指摘することがあります。
しかしこれらのことを取り除こうとすると、日本語の良さまでがなくなってしまいます。
完璧な言語は存在しません。
ましてや日本語ほどの多様性・対応性を持った言語はありません。
そのすべてを含めて特徴なのです。
その感覚は母語を習得していく段階で、身に着いていると思われます。
遊びでこんなことをしても面白いですよ。
私の尊敬する井上ひさし先生が作られた語順と修飾語の問題です。
次の文から何通りの意味があるか考えてみてください。
「黒い目のきれいな女の子」
7通り以上ありますよ。