2013年9月7日土曜日

話し言葉と書き言葉(2)

言語には話し言葉から成り立った古いものと、先端文明の開拓や導入による文字を中心に取り込んだものとがあります。

現存する世界の言語は5,000とも8,000とも言われていますが、そのほとんどは文字を持っていません。

20%程度の言語が文字を持っているといわれています。

文字を持つ言語のほとんどは植民地開拓時代に広がっていったものが多く、先んじた文明とともに世界中に広がって活きました。



日本の場合は、自らが当時の最文明国である中国に学ぼうと、その知識を文書で導入したのが始まりです。

植民地のように侵略されたわけではないので、支配層を中心とした導入した漢語による統制は行われませんでした。

話す言葉は、以前より使用していた「やまとことば」が中心であり、漢語は一部の高官や文化人の間で知識習得のための手段や公式な記録言語として使われました。

漢語は高級言語として尊敬の対象となります。

一般人においては縁の遠い話です。


やがて、音だけしかなかった「やまとことば」に漢語の音を利用して、表音文字を当てます。

ここまでは、通常の文化導入においても見られることです。

通常であれば、やまとことばと漢語の混用からピジン語(言語移動の過渡期の言語)が生まれ、世代を重ねながらより漢語に近い言語に落ち着いていきます。

ところが、日本においては表音文字として「やまとことば」に当てた漢語を崩して、ひらがなという全く違う文字言語を作り出してしまうのです。


漢語という触媒を利用しましたが、文字のなかった自分たちの話し言葉に新たに表記するための文字を与えたのです。

先端文明を取り込むには漢語をそのまま使用することの方が楽なはずです。

わざわざ「かな」を作る必要はどこにあったのでしょうか。


ひらがながある程度の完成度を見せるまでは、万葉集から数世紀を必要としているようです。

ここで日本においては2つの言語文化を持つことになります。

もともとの話し言葉から成り立った「ひらがな文化」。

これは女性や子供たちによって受け継がれ、女流の物語文学である「源氏物語」を中心に最盛期を迎えます。

「源氏物語」においてもひらがなの使い方においては手探りの部分も多く、漢字かな交じり文の完成度としては決して高いものとは言えないところです。



「ひらがな文化」は話し言葉の文化です。

ひらがなは話し言葉を書いて伝えるときや記録するための表音文字です。

もともとが話し言葉ですから、文字そのものに意味はありません。

音で確認する言語です。


一方、漢語(漢字)は表意文字です。

文字そのものに成り立ちと意味があります。

発音には意味がありません。

目で確認する言語です。



日本語には、音で確認するほうがわかりやすい言語である「ひらがな」と、文字で確認するほうが分り易い言語の「漢字」の両方があります。

さらに、現代日本語においての主流は、漢字かな交じり文であり両方の言語が混ざり合います。

つまりは、現代日本語をしっかり理解し合うには、話すことと文字の両方を上手く使いこなす必要があるのです。


文字だけで伝えるにはひらがなのつながりがとても難しくなります。

そのために句読点や会話の「」がありますが、話しことばでの補助にはかないません。

また、話し言葉だけでは、音の種類が少ないために同音異義語が多くてきちんと発音しても、文字の補助にはかないません。

日本語は話し言葉だけで理解するには難しい言語なのです。


英語との大きな違いがそこにあります。

英語は表音文字です、音による伝達を主眼とした言語です。

昔の学校教育のように、文法と単語をいくら書いて覚えても、会話ができないのは当たり前なのです。

書いて覚えたところで、会話はいつまでたってもできないのです。

10年間勉強しても会話ができない大きな理由は、そこにあります。

同じ英語でも、アメリカとイギリスでは綴りが異なる単語もあります。

アメリカでは日本よりずっと多くの文字の書けない人がいます、きちんと文の書ける人はかなり教育レベルの高い人です。

文字を書くことだけで職業が成り立つ国です。

最近でこそ、話すことを中心とした英語教育が浸透してきたところですね。



日本語をしっかり伝えて、しっかり理解するには最低でも2つの感覚である聴覚と視覚の両方に訴える必要があります。

「伝えたつもり」や「分かったつもり」は2つのうちどちらかが欠けているために起きていることが多いようです。

相手を責める前に、ちゃんと伝えたか、ちゃんと伝わったのかの確認は必要ですね。

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