2013年8月25日日曜日

脳の機能から見た日本語

蝉の声から虫の音に映っていく季節となってきました。

古くより私たちは季節の移り変わりや消えていくものに対して、名残を惜しみながら新しく生まれてくるものを迎えるという感覚を持っています。

機能としての「モノ」の価値だけでなく、その「モノ」と共にあった様々な「コト」としての価値をそこに見出します。

小学校時代にお世話になったランドセルがボロボロになって機能しなくなっても、ミニランドセルとして作り直して記念にとっておいたりします。

そもそもランドセルに対して「お世話になった」という感覚自体が、「モノ」に対する感覚ではありません。


西洋人(言い方としては古いですが)は虫の音を自動車の騒音などと同じように雑音としてとらえるようです。

日本人の脳の働きと西洋人の脳の働きを研究した結果があります。(「日本人の脳」:角田忠信)個人差もあるようです。

そもそも言語中枢の言語野が左脳ではなく右脳にある人も、希ではありますが存在するようです。

ですから、この研究結果は統計的な傾向を表すものであり、すべてに当てはまるというわけではあ
りません。


またこの傾向は、遺伝的な先天的な物ではなく、幼児期の環境によって形成される後天的な物だということがわかっています。

西洋人であっても、幼少期を日本の環境のなかで日本語を使って過ごせば、日本人的な傾向を示すようになるそうです。

母語習得の時機と重なることから、日本人・西洋人という区分ではなく、母語が日本語か・西洋語かの方がより正確なのかもしれませんが、母語との関係はまだわかっていません。



研究結果によれば、日本人と・西洋人の脳が扱っている音の分野が上の表のようになる傾向が強いそうです。

処理脳が違うものが色分けされています。

極端に言えば左脳は言語としての認識をし、右脳は雑音としての認識をするということになります。

西洋人が単純母音を雑音と感じるのには驚きました。


言語として認識できれば同時に聞き取っても、分析し聞き分けることができます。

雑音として認識していれば、言語とは相いれないものとなります。

言語・思考の妨げとなります。

日本の邦楽が開かれた空間で、自然の音や謡と共にあっても何の違和感もないのに対して、クラシック音楽は閉ざされた空間で一切の周りの音を遮断した環境でないと存在できないのは面白い対比だと思われます。


日本人は風に音や声、匂いや温度を感じます。

さわさわ、そよそよ、ふんわり、びゅー、ごうごう、風が鳴く、風の声、かおる風、涼風、温風、熱風、日本には数えきれない風があります。

彼らには全部雑音なんですね。

イヌイット(エスキモー)には雪の表現だけでも「何時ごろに降る締めっぽい雪」のようなものまであり、20種類以上の表現があるそうです。

感覚的には近いかもしれないですね。



自然や環境と常にともにあり、人の感情や心の動きまで表現する日本語は、「モノ」を切り離し論理的表現を中心にした西洋語よりも、はるかに大きな言語と言うことができます。

そしてこの感性は母語によって身につくものと考えられています。

他の言語の習得がほとんどの場合5歳までに完了するのに対して、これだけ教育制度が整っている日本でも日本語の習得は10歳前後までかかります。

日本語の翻訳能力はほぼ万能であると言ってもいいと思います。


世界中のあらゆる研究成果が日本語に翻訳されています。

私たちは世界中の知恵や歴史をほとんどの場合、母国語ある日本語で学ぶことができます。

こんな国はほかにはありません。

学術書から専門書まで、文学からホビーまで日本語で読むことができます。


韓国に知人に言わせると日本の本屋は、宝物庫だそうです。

彼から見ると、海外相手のビジネスマン以外の人がなぜ英語を学ぼうとするのか不思議だそうです。

母国語で最高学府までの世界の最高水準の教育が存在し、吸収すべきすべての情報がほとんど

タイムラグなく母国語で提供されているのに、なぜ英語を学ぶのかと言います。

彼らは学びたくとも母国語ではそれだけのものがないから、仕方なく英語に頼らざるを得ないから英語を学ぶのだと言います。

最高学府に行かないと、学ぶための資料がないから最高学府に行くと言います。

最高学府の最高水準の教育はアメリカ人によるものだから、仕方なく英語を学ぶのだと言います。

そこと同じ資料が日本語訳で町の本屋に並んでいるのです。



彼は次は日本人として生まれてきたいと言っています。

私は彼に、それはやめた方がいいと言っています。

日本人に生まれてこの環境の価値に気付く人間はいません。

当たり前になったと言われ始めた瞬間から、自分は使ったこともないのに価値のないものになっていきます。

韓国人の彼が苦労して最高学府の教育を受け、今があるから言えることです。

日本語って日本ってすごいんですね、改めて教えてもらいました。