例に出した「仮名手本忠臣蔵」や「菅原伝授手習鑑」だけでなく、偶然だとは言われながらも一部には縁起が悪いから教育用には使うべきではないとも言われていたそうです。
そのせいではないと思いますが、明治36年(1903年)に萬朝報という新聞が新しい国音による歌を募集しました。
その条件は、いろは47文字に「ん」を加えて48文字を、一回ずつ使って歌を作るというものでした。
応募は1万首以上あったといわれています。
賢い人がたくさんいたんですね。
私のような無精者には考えるだけでも頭が痛くなりそうです。
その中で坂本百次郎(埼玉に住む数学の先生だといわれています。)という人が作った「とりなく歌」が採用され、戦前には「とりな順」として「いろは順」と同様に書道の手本などとして使用されていました。
作り方は48枚の一文字ずつ書いたカードを並べ替えながら考えたそうです。
生徒の並び順を「いろは順」でなく「とりな順」で行う学校もあったほど普及したといわれています。
香川県の中学校の書道の先生が、戦後35年たっても「とりなく歌」を手本として使っていたこともあったそうです。
では、「とりなく歌」をご紹介します。
とりなくこゑす、ゆめさませ
みよあけわたる、ひんがしを
そらいろはえて、おきつへに
ほふねむれゐぬ、もやのうち
鳥鳴く声す 夢覚ませ
見よ明け渡る 東を
空色栄えて 沖つ辺に
帆舟群れ居ぬ 靄の中
東を「ひんがし」と読ますことによって「ん」を加えて、見事な七五調の48文字の歌に仕上がっています。
このリズムと言葉の流れに乗れば、今の私たちでも「ひんがし」と読むことに何の抵抗もないのではないでしょうか。
また、「ひがし」と読んでしまっては語呂の悪さを感じざるを得ないと思います。
「いろは歌」に比べると時代がずっと新しくなる分、私たちにとってもとても取りつきやすいものとなっています。
戦後の教育改革によって「あいうえお順」が全面的に採用され、「いろは」も「とりな」も使われることはなくなってきました。
しかし、ほぼ同様に扱われていた「いろは歌」に比べて、「とりなく歌」はあまりにもその後の存在感が薄いのではないかと思います。
「いろは」はすべて言えなくともほとんどの人が存在は知っています。
「とりなく歌」を知っている人は、専門に学んだ人以外はいないのではないかと思います。
素人の私がたまたま見つけることができて、自分で「へ~。」と思っているくらいです。
せっかく見つけることができたこの「とりなく歌」は、このまま埋もれさせてしまうにはあまりにも惜しい文化財だと思いますが・・・
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